てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2009-02-01(日) (野良に出れば鬱陶しさは風に吹き飛ばされる)
投稿日:2009-02-06(金)
定植:[自然畝]キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー管理:早生ニンニクの追肥 どうしても家を出る時間が遅くなる。気持ちが野良に向か...

定植:[自然畝]キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー
管理:早生ニンニクの追肥


 どうしても家を出る時間が遅くなる。気持ちが野良に向かって動かない。寒のせいだけではない。農地から離れたところに住んでいると、農耕が見えないため観念の対象になってしまうからでもある。いったん否定的な考えが生まれると、観念になった農耕はその考えに蝕まれてしまう。


 今日の作業予定はキャベツ、カリフラワー、ブロッコリーの定植と、早生ニンニクの草取りと追肥。

花蕾のついたブロッコリー
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花蕾のついたブロッコリー。
 苗のまま生育が進んだブロッコリーにはすでに小さな花蕾が見えるものもあった。はたしてこの花蕾が大きくなるか… まあ、ものは試しである。
自然畝に定植したキャベツ類
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自然畝に定植したキャベツ、ブロッコリー、カリフラワー。
 畝の中央線上に4本、細い緑のポールが立ててある。そのポールを目印に、長い緑のポールが中央線上においてある。このポールは物差しであり、5cmごとに印がしてある。株間を決める目安とする。
 キャベツは昨年10月11日にベランダでポット育苗を始めた。2月に入ってからの定植を予定していたが、暖かかったせいか年内に生育が進みすぎた。年末には定植できる大きさに生育していた。しかし私は冬のずぼらにとりつかれ、苗をベランダに置いたままにしていた。

 一昨日だったか、ベランダにカラスが来る、と家族が言った。ベランダに干しておいた野菜クズのせいだ、と原因を説明した。カラスが来たのを見たわけではない。ベランダの手すりのすぐ下に大型の鳥の糞とおぼしきものがいくつか落ちていた。今までになかったことだが、私も、怪訝に思いながらも、鳥はカラスだと思った。

 昨日、私は苗の状況を詳しく観察した。すると鳥がついばんだ跡がある葉っぱがあった。この跡から考えるに、鳥はカラスではない。ヒヨである。野菜クズを狙ったのであれば、ベランダ内に入り、したがって糞はベランダ内に落ちているはずである。だから、ヒヨはベランダの手すりの下に止まり、そのすぐ近くの苗を狙った、と思われる。幸い、被害を受けた苗は3、4株だった。

 キャベツ類は、生育状況からしても、ヒヨの飛来からしても、定植は猶予ならなくなった。

 観念となった農耕から排斥力を感じながらもようやく畑に到着したのは昼過ぎだった。まずキャベツ類を自然畝に定植した。この畝は昨年初夏にそら豆を収穫したあと遊ばせておいたところ。刈り払い鎌で背の高い枯れ草を処理してから定植を始めた。作業をしながら気づいたことだが、この畝には冬の初めに米ぬかを散布した。そのぬかがまだ完全には分解せず畝の表面に残っていた。定植と同時に米ぬかと発酵鶏糞を株まわりにまく予定だったが、それを見てやめた。今でなくとも、活着してしばらくして発酵鶏糞を施せばいいだろう。定植したあとは、蝶害と鳥害の防止のため、防虫ネットをトンネル状に被覆した。



 早生ニンニクは昨秋あたらしい品種を植えた。種苗カタログによると、葉ニンニクとし使え、ニンニクの芽も収穫でき、小粒だがむろんニンニク球としても使える、というものだった。葉ニンニクとして食するには、厳冬期がすぎて生長を再開するまでに施肥していた方がいい。寒のころ施してやるのがいいのだろう。先日、妻がニンニクがなくなった、と言った。昨夏は収穫量が少なかったためだ。そこで早生ニンニクのことを思い出した。

早生ニンニク
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除草、追肥、中打ちをしたあとの早生ニンニク。
薹の立ったロケット
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ロケット(ルッコラ)。
 畑の一角には自然生えのロケットがある。そのロケットにもう薹がたち始めていた。晩冬のなかに、もう春が始まっていた。
 ニンニクは(早生も普通のものも)、植えてからの世話は一度、冬前に中打ち[中耕]しただけだったので、草の中に埋もれていた。施肥するにはまず草取りをしなければいけない。そこで、昨日から始めたが、早生ニンニクの畝はまだ半分しかすんでいなかった。今日はその続きをやり、追肥をした。発酵鶏糞にするつもりだったが、もうなくなっていたので、化学肥料を使った。発酵鶏糞も効きは早いが、化学肥料の方がもっと早いだろうから、遅れ気味の追肥にはいいかもしれない。

 早生ニンニクの続きには、普通ニンニク、エシャロットが植わっている。ついで、そこの草も取りはじめた。いつものことだが、いったん野良に出ると、それまでは動きたがらなかった心がなめらかになる。心の方から変わるのではあるまい。観念だった農耕が現実のものになり、現実にふれあい反応しながら体が動くと、観念の世界は消えてしまい、心も体と一緒に現実に向かう、ということなのだろう。

 やがて5時のサイレンが近くの小学校の方から鳴ってきて、帰り支度を始めた。
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