てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2008-01-27(日) (藁切り、コンビニ建設)
投稿日:2008-01-31(木)
 今日は脱穀したあと田んぼに置いてある藁を切る予定。 藁は、使い藁にするモチのを除いて、裁断して田に鋤きこむ。鋤きこみ時期は年があ...

 今日は脱穀したあと田んぼに置いてある藁を切る予定。

 藁は、使い藁にするモチのを除いて、裁断して田に鋤きこむ。鋤きこみ時期は年があけるまでがいい。田植えまでに藁を十分に腐熟させるためである。田植え近くになって鋤きこむとメタンガスが発生する。一昨年はそうだった。去年は春先の3月になってから鋤きこんだが、ガスの発生はまぬかれた。作業が遅れるのが私の常だが、この二年の教訓から、藁は遅くとも2月中には鋤きこみたい、と思っている。

 わが家のハーベスター[脱穀機]はカッター[藁切り機]がついていないので、藁は独立したカッターを使って切る。コンバイン[刈取り脱穀機]には藁切り機構があるし、ハーベスターでも近年は藁切り装置をつけたものが多い。しかし、旧式の機械体系のわが家は、脱穀と藁切りを二つの独立した作業として行なう。だから藁切りが遅れ、最初の荒起こしが、秋耕ではなく、よくて冬耕、下手をすると春耕になってしまう。

藁カッター
(クリックで画像の拡大)
 藁カッター。二週間前の画像。
 カッターの前の、切り藁の山は、一山が40束の藁を裁断したもの。このあとすぐにエンジンの調子が悪くなった。
またしても藁カッターの不調
 藁切りは二週間前、すなわち一月の第二週末から始まっていたはずだった。カッターは昨年中古として購入したもので、二週間前が買ってから最初の藁切り作業だった。しかし、作業を始めてしばらくすると、カッターのエンジンが不調になった。何度もかけ直したが、すぐにエンジンが止まり、最後には始動しなくなった。作業は中断せざるをえなくなったが、農業機械としては小型とはいえ重量はあり、エンジンがかからなくては、軽トラックの荷台に積み込むことができない。軽トラックのところまで引っ張ってきて、ふと機械の下部を見ると、エア・フィルターあたりからガソリンが漏れているのが目に入った。フィルターを確かめるとガソリンで濡れていたので、外してから、再度始動を試みた。するとエンジンがかかっり、やっと軽トラックに積むことができた。

 カッター購入を仲介してくれた農協の農機センターに電話で修理を頼んだ。それから農機センターから連絡はなかったが、今日作業開始前に確認したカッターの状態からして修理は済んでいるようだった。

 しかし、作業を始めるとしばらくして、またもやエンジンが不調に陥った。今回はじたばたせず、すぐに作業を中止してカッターを持ち帰った。

コンビニ建設
 遅くなった昼食時、缶ビールを買いに自転車でなじみの酒屋に向かっていたところだった。向こうから軽トラックがやってきた。運転していたのは近所のお兄さんだった。私を見るとトラックを止めて「おい、どこに行くんな」と声をかけてきた。「〇〇[酒屋の名前]よ」と私。「ちょっと話があるんじゃけどの。ええか? 朝、田んぼで見たけえ、おるんか思おて田んぼを見たらおらん。またカッターの調子が悪うなったんか。」とお兄さん。お兄さんの裏からわが家の田んぼは見える。お兄さんは軽トラックを道の隅に止めて話を始めた。

 二年ほど前に開通したバイパスに沿った或る田んぼの話だった。

 その田んぼは旧来の持ち主の事情により売却された。新しい持ち主は村の人間ではない。だから田んぼとして利用するつもりは最初からなかったと思われる。はたして田んぼは山土で覆われた。しばらく建設資材置き場として使われていたが、昨年、初冬にコンビニが作られるという話を内々に耳にした。

 いよいよコンビニ建設が皆に知られるところになった。村はまだ下水道が整備されていない。だから家を建てるときには浄化槽の設置が義務づけられている。浄化槽からの排水は川に流される。建物が川に面していなければ、道路の側溝か井手[農業用水路]を介して川に向かう。コンビニ用地の立地からすると井手に流すのが手っとり早い。用地に隣接した井手は二本ある。コンビニ建設者から排水を最初に打診された井手は拒否した。その結果、もう一つの井手に打診がなされた。それがお兄さんの家の田んぼもわが家の田んぼも関係している井手である。(わが家は最初の井手にも関係しているが、井手頭は一存で拒否したようである。拒否には私は異存はない。)ところが井手頭は現在入院中。そこで副頭級のお兄さんに話が回ったようである。「井手頭が退院して来てから決めることになるが、今こがいな話がおきとることを知っとけよ」と言って、お兄さんは図面を広げながら排水路を説明した。

 「[排水は]流させん、ゆうたらどうなる?」と私は訊いた。「そういうわけにはいかんじゃろうがの…」お兄さんは言いよどんだ。「それにこの辺の家でも浄化槽の排水を井手に流しよる。条件をつけるしかないじゃろうの。下水道がついたらすぐにそっちに流すようにする、とかの条件をつけて、認めんにゃいけんじゃろう。県道の側溝に流す、ゆうても[距離が離れていて]難しいしの。」私は「この辺の家はここで生活し、田んぼを作りようる。コンビニは違でうで。あいつらが儲けるだけじゃ。コンビニができてもわしら何の得にもならんで。コンビニがのうても生活には困らんし、できたら環境が悪りゅうなるだけじゃ。そもそも[コンビニが建設される]あの道もわしらには何の得にもなっとらんじゃろ。村を通過する車だけに便利なだけじゃ。」と言った。それに関してはお兄さんも異論はなかった。「子ども向けのテレビ番組で、道ができりゃ生活がようなる、と言ようたが、大嘘で」とお兄さんは、孫と一緒に見たのかもしれない番組を批判した。

 山を崩し工場用地を作り、田んぼを潰して道路を作る。最近、村で起きていることである。さらに、建設は何年先になるか分からないが、高規格道路から分岐する幹線道路がすでに都市計画法にもとづいて計画されている。山間の狭い村が切り裂かれている。そして今度はコンビニ。村は市街化調整区域だが、条件が揃えば(あるいは、法の抜け道を潜って?)店舗の建設は可能なのだろう。役立たずの山や農地は利益を生む装置に変換される。

 工場用地になった(そして今では工場が建ってもいる)山には、集落の火葬場があった。その周りは木が立つ山だった。車が往来する道路や山土で埋められたコンビニ用地では何百年も連綿と村人が米を作ってきた。私の耳には、利便さを提供し利益を生むそれらの土地の下から、うめき声が聞こえる。人の、動物の、そして他の生物たちの。さらには大地の。空耳ではない。わたし自身の生身が痛みさえするのだから。

 ひとしきり話をした後で、私はお兄さんと分かれた。分かれ際、「すぐには返事すまいで」と私は言った。「おう。どっちにしても井手頭が退院してからの話じゃ。」お兄さんは軽トラックに乗り込み、私は自転車にまたがって、それぞれの方向に向かった。
コメント
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てつ人 ( 2008/02/08 10:29 AM )
 
> 子供がアトピーだったと記憶してます。食べ物はその地域で採れた物にしたそうです。その人は学校給食は地域でとれた物にするべきだと云っていました。
> 微生物が関係しているのでしょうか。

 「四里四方の野菜」ないし「身土不二」といった思想は、僕は明確な根拠づけはできませんが、頭の中では、陰陽思想にもとづいたもの、との理解があります。《夏には瓜類がよくできますが、瓜は「陰」です。でも夏ですから人間の身体は「陽」に傾いています。そこで瓜を摂ると陰陽のバランスがとれる。》たとえばこんな論理です。そんな考えがあるので、僕は、キュウリを冬に食べる、といったことはできません。おっしゃる通り、「微生物」も関係しているのかもしれません。異物は生きる刺激にはなりますが、度が過ぎると生命のバランスを崩してしまいます。「身土不二」という思想/事実には、いろいろな局面が関係しているのでしょうね。

 僕も、素性の知れぬ土を入れるのには抵抗があります。昔は建物からして木材は近隣の山から伐採してきましたね。でもこのごろは、そうじゃないですね。外材、石油由来の製品…そして廃材は日本のどこか山奥に捨てられる。食べ物だけでなく、種々の「外国産の粕が日本に蓄積」しているのが現状ですよね。

> 農家は自家用に、多品種の野菜を作り、食べきれない物を売るようにすべきだと、ある雑誌で読みました。

 この考えに僕も賛成です。僕は、農家は自給的生活、と考えていますから。こうした考えは、守田志郎という農業経済学者(故人)の本で読みました。

 この考えは「家」の単位だけでなく、地域、さらには国の単位にも当てはまると思います。農産物はまず自給する努力をして、しかるのちに本当に足りないものがあれば、外から入れる。そうしないと、国でも健康を損ねると思います。
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ふる ( 2008/02/07 06:22 PM )
 
> 四里四方の野菜を食ってこそ人間は本物の健康を手に入れることができるのです。違う風土で作られた農産物を食しても身体になじみません。

以前聞いたラジオで(伊集院光)「日本の凄い人」(題名は定かでありませんが)でマドンナだったか有名人の栄養士をした女性の話を聞いた事が有ります。有名人の子供がアトピーだったと記憶してます。食べ物はその地域で採れた物にしたそうです。その人は学校給食は地域でとれた物にするべきだと云っていました。

微生物が関係しているのでしょうか。
我が家のすぐ隣が区画整理で工事がされています。土が不足したからと他所から土を運び入れています。変な微生物が来ないかと心配になります(心配し過ぎ?)。田や畑をつぶした所です。大規模な自然破壊です。

俺たち子供の頃は何処の家でも「汁の実畑(しんのみばたけ)」を持っていました。農家は自家用に、多品種の野菜を作り、食べきれない物を売るようにすべきだと、ある雑誌で読みました。
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てつ人 ( 2008/02/01 12:32 PM )
 
 「てつがく村」に足を踏み入れていただきありがとうございます。「ひろば」が入場拒否をしてしまいましたか。じつは迷惑な書き込みに対処する目的で罠をかけています。その点に関しては、場違いですが、貴ブログの、僕が何回か書き込んだスレッドで報告します。

> 当地でも農地がトラックの解体工場、資材置き場、コンビニ等になっています。
> 人間が生きて行くうえで大事な食料の事を日本人はもっと真剣に考えねばと思います。

 僕の村で起こっていることは日本の縮図だと考えています。工場やコンビニなどの建設に反対すると、きっと「それらは国内総生産に寄与しているだから、まわりまわって必ずお前の利益になる。短絡的にいきり立つな」との反論があるだろうと思います。でも「利益」ってなんでしょうね。物質的な豊かでしょうか? 平均的に考えれば、今の日本人の物質的生活の「豊かさ」は限度を超えています。国内総生産に寄与すれば、生活の利便性を向上させるものであれば、なんでも価値がある、という考え方はもうやめるべきです。

 山や田畑が荒れるのなら、荒れるがままにしておいた方がよほどいいと思います。人間以外の生き物にとってはその方がいいでしょうし、また、必要があれば耕地にもどせます。工場やコンビニなどが建つと耕地にはもうもどせません。

 食料でも安ければ外国産を買う、という人はかなりいると思います。また、調理済みの食材は飲み屋などで使っているのかと思っていましたが、ここのところの殺虫剤混入事件の報道で、一般家庭でも手軽さのためか、使われているのを知って驚きました。調理をする時間を惜しんで働いているのでしょうか? 食い物をけちって他の用途のために金を稼ぐなんて、本末転倒です。食べ物は高くって当然、調理に少々の手間がかかるのは、あるいはかけるのは、当然、と僕は思っています。

 自国の農業(一般に第一次産業)を見直すべきでしょうね。食の安全の観点からも、食の安全保障の観点からも。金を出しても食料は輸入できない、という時代はそのうち来るような気がします。さらに、四里四方の野菜を食ってこそ人間は本物の健康を手に入れることができるのです。違う風土で作られた農産物を食しても身体になじみません。

> 田園地帯の片隅に測定所を建て、廃水を田んぼの水路に流すために水利組合と契約し利用料を払っていました。

 あっ! 利用料をとる、という手もあるんですね。コンビニができないのが一番ですが、廃水を受け入れざるをえないようだったら、利用料をとることを皆に提案してみましょう。
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ふる ( 2008/02/01 07:36 AM )
 
「ひろば」に投稿しようとしたのですがエラーになったのでこちらに投稿します。初めまして。よろしくお願い致します。
拙ブログにコメントありがとうございました。

当地でも農地がトラックの解体工場、資材置き場、コンビニ等になっています。
人間が生きて行くうえで大事な食料の事を日本人はもっと真剣に考えねばと思います。今、中国製の食品に農薬が入っていたと云う事で騒動になっています。これを機に国内の農業を見直すべきです。野菜は中国、マグロはインド洋、肉はオーストラリア、食べた外国産の粕が日本に蓄積します。問題視している学者もいる様です。江戸時代は食べた粕を生産地に返していたそうです。それが自然だと思います。

会社勤めしている時期、コンピュータ機器の発生雑音(電波)の測定所の仕事をした事があります。田園地帯の片隅に測定所を建て、廃水を田んぼの水路に流すために水利組合と契約し利用料を払っていました。組合長が着服していて問題になった様でした。排水は浄化槽とお茶の茶碗を洗うくらいで量は少なかったです。
もし世話人様の田んぼに関係する様でしたら保証金等の事もお考えになったら如何でしょう。
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