てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2007-11-11(日) (脱穀終了)
投稿日:2007-11-12(月)
 今日は大学院生のU嬢が「農業研修」に来る。今日中に脱穀を終了しようとすると、一反ほどをやらなくてはならない。一人ではむろん無理な...

 今日は大学院生のU嬢が「農業研修」に来る。今日中に脱穀を終了しようとすると、一反ほどをやらなくてはならない。一人ではむろん無理な作業量だが、二人だとなんとかなるかもしれない。

 彼女との約束は10時。その前に従姉のところに行き、午後からの加勢を頼んだ。もち米の藁を10束ずつ縛ってもらうためである。その藁は、これから一年の使い藁として小屋に保存しておく。

 約束の少し前にU嬢が到着した。彼女は農業とは無縁の都会育ちゆえ、脱穀は初めての経験。脱穀機は昨日の作業終了後も田んぼにおいたままなので、すぐに作業にとりかかった。彼女には稲架から稲を下ろして脱穀機の棚に置く仕事を分担してもらった。私はその稲を脱穀機に送り込む。私より年長で農作業の経験のある従姉と違い、U嬢は私よりかなり年少でずぶの素人だけに、私の指示をそのまま受け入れてくれて、作業のリズムは作りやすかった。それに、機械は、昨日と違い、「機嫌」がいい。昨日は、従姉と私の老老ペア、今日は、U嬢と私の若老ペア。組み合わせを感じ取る心を機械はもっているのか?!おかげで作業は順調に進んだ。

箕を使う
 脱穀機のゴミ溜めや隅に溜まった米は、箕でゴミを吹き飛ばして、袋に入れる。私の作業を見ていたU嬢は道具の名前を訊いた。箕、と答えると、以前から頭にあった疑問が解けたようだった。神社でアルバイトをしていたとき、熊手と箕がセットになったミニチュアの縁起物を見た。しかし、箕の用途が分からなかった。でも、私の作業を見てやっと理解できた、ということのようであった。私は手本を示してから、彼女にもやってもらった。使い方の基本はすぐに分かったようであった。「あとは慣れるだけ」と私は言って、それからは彼女に箕の作業を預けた。

 小さい頃から、母親や近所のおばさん、おばあさんが器用に箕を使いながら穀類や豆類のゴミを除くのを感心して見ていた。箕を使うには少し風のある日がいい。箕を上下に動かすと、穀類や豆類は一つの波になって箕の中で跳ね、軽いゴミは風に吹き飛ばされる。吹き飛ばされないゴミは表面や周辺に集まる。それを手で取り除く。そんな経験から、箕は、腕力はないが細かい作業が得意な女性が使うものだ、という漠然とした観念があった。百姓にはおとこ仕事、おんな仕事の大まかな区別がある、と思う(こんなことを書くとふたつのセイの平等が強調される昨今は、どこからか突っ込まれのかもしれないが)。箕での作業はおんな仕事である。しかし、そんな区別は「家族」百姓であってできることであり、「一人」百姓の私には区別はない。必要に迫られて、私は記憶に残っているイメージを頼りに箕を使い始めた。今は、昔ほどには、箕を使う姿は見ない。だから、見よう見真似、ならぬ、思い出しよう思い出し真似、で使い方を習得した。

 午後から手伝いに来た従姉は、U嬢が箕を使うのを見て「おっ、やるじゃない」と声を掛けた。従姉は箕は使えない。むしろ、使う必要がない。

 午後、雨がぱらついた。もち米がまだ残っていたが、脱穀を続行するのを私はためらった。すると従姉が「しんさいや!ちいたあ、濡れちょってもええじゃない」ときっぱりと言った。もし今日できなければ、今度は一週間先の週末。従姉の声に後押しされて、もち米まで済ませた。

 脱穀が完了すると、おやつを食べはじめていたU嬢と従姉を急かせて、屋敷に帰った。U嬢が帰らなければならない時間があり、彼女のために畑で野菜を採るとすると、のんびりはしていられなかったからである。「能力に応じて働き、必要に応じてとる。」これが私の百姓原則。一緒に畑を回って野菜をとり、また従姉も野菜を出してくれた。それを段ボール箱に詰めて、日没からしばらく経った頃、U嬢は帰途についた。

 私はそれから田んぼに戻り、稲架を解体し、ナルだけは屋敷まで持ち帰った。今日脱穀した分の稲架には七本のナルが使ってあったので、暗い中を、七往復、一時間あまりかかって、運び終えた。最後には小雨が降りだし寒かったが、それ以上に、U嬢と従姉の加勢を得て脱穀を完了した、嬉しさの混じった解放感が大きかった。《コレデマタ一年命ヲ繋グコトガデキル。》
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