てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2007-11-04(日) (農耕、生身が触れ合う)
投稿日:2007-11-05(月)
 今日から脱穀開始。二回ないし三回の週末を使って脱穀を済ます予定。稲刈りに三回の週末を使ったので、脱穀にも同じ回数を当てはめた。 ...

 今日から脱穀開始。二回ないし三回の週末を使って脱穀を済ます予定。稲刈りに三回の週末を使ったので、脱穀にも同じ回数を当てはめた。

 去年は、農協においてある米の水分計量器で籾の乾き具合を確認したあとで、脱穀にとりかかったが、今年は、「稲架二十日」という言葉を指標にした。手刈りと稲架掛けが普通であった頃は、水分計量器は使わなかった、あるいは存在しなかった(と思う)。経験に基づき、晴天の続き具合、籾を剥いだ米を噛んだ時の歯ごたえといったもので脱穀時期を決めていたに違いない。「稲架二十日」はそのような経験から生まれた、つまり経験則である。

 最初の稲刈りは三週間前だったので、稲は稲架に二十日は掛かっていたことになる。雨もほとんどなかったので、籾は十分に乾いているはずである。

脱穀
(クリックで画像の拡大)
 脱穀。作業時には、機械の左側に稲束をおく台を拡げるのだが、今は畳んである。
 脱穀をすると、機械の下部にある受け皿や、藁の排出側(写真の機械で言えば、右側に突き出ているベルト)にあるゴミ受けに籾が溜まる。ゴミを篩と箕で振るい除けて、その籾を回収する。
 従姉が脱穀を手伝ってくれた。彼女が稲架から稲束を外して脱穀機(ハーベスター)の棚におく。その束を私が脱穀機に送り込む。束の根元を回転しているチェーンに挟み込むと、束は自動的に脱穀ドラムの上を通過して、穂から籾が外される。一人でもできないことはないが、二人だとやはりはかどる(作業時間は半分になろうか)。

 農作業には複数人が協同してやるものがある。機械化された近代農業は協同作業を機械のオペレーター人の作業に合理化しようとする。しかし、機械化を徹底することはできないし、ましてや、小型機械しか使わないような小農では、まだまだ協働の場面が多い。稲の収穫作業について言えば、稲刈り時には、刈り取りを担当する者がいれば、稲を稲架に掛ける者もいる。また稲架掛けは、稲束を掛けやすいように分けて渡す者と、その束を稲架に掛ける者がいる。(むろん、これらの作業を、時間はかかるが、一人で行なうこともできる。私もしばしば一人で行なう。)お互いに息を合わせなければうまくいかない。ペアで稲架掛けをするときは、強い意味で「息を合わせ」、刈り取りする者と、稲架掛けする者たちとは、弱い意味で「息を合わせる」。そのようにして、いくつもの「息」がひとつの「息」になる。

 従姉とペアでの脱穀作業もスムーズにやろうと思えば、「息を合わせる」必要がある。「息」とは、私が稲束を脱穀機に送り込むスピードに遅れないように、従姉が棚に稲束をおく、といった単純な動作の速さにかかわるだけではない。「息」とは、作業に必要な身体部分の動きだけではなく、身体全体、人間全体で吸い吐かれるものである。私から言えば…従姉は動作は機敏な方である。気の回り方もやはり機敏である(すなわち、ある意味で、気が利く)。だから機敏な「息」をする。私は、と言えば、こちらが動かないうちに先回りしてくる機敏さには抵抗感を覚える。だから、従姉の「息」と私の「息」は表面では協調しながらも、裏ではぶつかり合う。もっといえば、「息を合わせる」のは、二つの別々の生身全体である。だから、表面としての作業の上では「息が合い」ながらも、作業を支える生身全体としてはどこか「息」が揃わないところもある。それに気づきながらも、二人は協同して作業をする。

 農耕はもともと家族的な協働である。家族は生身をさらけ出し、触れ合いながら一個の有機体のようなものを形作る。それと同じように、たとえ他人と協働するにしても、そこでは生身と生身が直接結び合う。生身の結びつきという関係性は農耕全体、地域的に言えば、農耕的共同体全体を覆っている。家族を出発点として村全体にまで、次第に希薄になりながらも、貫徹している。

 都会の生活では個人的情報は他者に対して秘匿されている。村の生活では、すべて筒抜けである。お互いにお互いの生身を知り抜いている。その上で「個人」としての生活が営まれる。

 農業体験で自然と触れ合う、といったことが語られる。都会生活者を対象とした農業体験なら、そのようなフレーズが呼び込みに効果はあろう。しかし、農耕とは、自然と触れ合うだけでなく、人間同士が生身で向き合い、触れ合うことでもある。こう言えば個を尊重する人たちは農業体験に対して及び腰になるかもしれないが、そ こ ま で 触れ合いを深化して初めて、都会生活には欠けている経験を味わうことができる。

 …などと、久しぶりに、たいていは頭の中にしまっておく屁理屈を走り書きしてみました m(_ _)m(オソマツデシタ)
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