てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2007-10-19(金) (稲刈りの夕暮れ、上弦の月が)
投稿日:2007-10-20(土)
 一日の休暇をとった。今日から明日(土)、明後日(日)の三日間でできるだけ稲を刈るつもりである。(クリックで画像の拡大)刈り取り前の田...

 一日の休暇をとった。今日から明日(土)、明後日(日)の三日間でできるだけ稲を刈るつもりである。

刈り取り前
(クリックで画像の拡大)
刈り取り前の田んぼ。
 枯色になっている部分はウンカ被害に遭ったところ。向こうに立っている稲架は他家の田んぼのもの。
刈り取り後
(クリックで画像の拡大)
刈り取り、稲架を立てた田んぼ。
 太陽は、画像右上の山の向こうに沈んだばかりである。
上弦の月
(クリックで画像の拡大)
灰ヶ峰(標高737m)の上空に上弦の月がかかってた。
 今日は、わが家で一番広い田んぼ(7畝=700㎡)を刈ることにした。10時半に刈り取り開始。途中、バインダーの縛り紐がなくなったのに気づかず刈り続け、刈ったまま投げ出された稲束を何束も藁紐で(したがって、手作業で)縛ったため30分ほど余計な時間を使ってしまったが、それも含め2時間ほどで刈り終わった。

 昼食後、稲架掛けに取りかかった。刈り取りは機械の力を借りるので早いが、稲架掛けは手作業で、しかも今日は一人なので、夕暮れまでに全部終えるとは思えなかった。靴をゴム長から地下足袋に履き替えて(つまり、軽装になって)、まず稲架立て。この田んぼの広さでは、稲を2段に重ねて架けるとして、9mの竿が4本必要である。ついで、田んぼのあちこちに転がっている稲束を稲架の周りに集める。それから稲架掛けである。

 案の定、太陽が山の向こうに落ちた時点で、1段目の四分の一も架けることができなかった。

 帰り支度をしながらふと空を見上げると上弦の月がかかっていた。あっと、思った。といっても、月を愛でる気持ちが動いた、というわけではない。もしかすると、暗くなってからも月明かりで稲架掛けできるのではないか、と考えたのである。今日は、日没で作業を終えることにしていたので、これ以上作業はしない。しかし、明日は月はもう少し大きくなっているので、雲さえなければ、暗闇でも何とか作業ができるのではないか。今日の終了時点での進捗状況をもとに、明日からの二日間での作業のやりくりを組立ながら、月を見ていた。むろん、一日地面に張りついたいた眼差しが広い空間に広がった解放感も味わいながら。
コメント
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てつ人 ( 2007/10/22 07:50 AM )
 
> でも本当は太陽が昇ったら仕事して、沈んだら帰って寝るのが健康的な生活なのでしょうね。

 僕は百姓ですから、「健康的な生活」をしているかどうかは別として、お天道様と生活をともにしています。でも、月明かりもなかなか乙なものです。田植の準備や稲刈りは暑くもなく寒くもない時期ですから、夜気もむしろ快いし、月明かりも身体にしみ通ってくるようでぞくぞくします。太陽を反射した光ですから、もしかすると、濾過された太陽光かもしれませんね。ずっと田んぼに突っ立っていたい気分にもなります。

 さあ、今日から五日間はサラリーマンに変身します。

 では。
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にら ( 2007/10/21 01:45 AM )
 
画像の月を今日、現場帰りに私も見ました。
最近夜中に仕事の合間に外に出て、月や星を見上げています。今見る月は、昔何気なく見た月と違った思いで見ています。月の光っている方向に太陽があるのかと。月は太陽が隠れても必ずどこかにある事を思い出させてくれるものかと。
昼間の仕事で追いつかなければ、夜にでもやって良いんだよと教えてくれているのかも知れませんね。私は水道屋さんに教えられました。「音の出ない仕事は夜でも出来る!」実際その水道屋さんが私の現場に来るのはいつも夜です。
でも本当は太陽が昇ったら仕事して、沈んだら帰って寝るのが健康的な生活なのでしょうね。出来ればそうしたいのですが、何故か体が言うことをききません。
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