てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2007-09-30(日) (ニンニク植え、サツマイモ畝の草取り)
投稿日:2007-10-01(月)
播種:ニンニク 夜の間に雨が降ったが、予定している畑作業に支障が出るほどではなかった。(クリックで画像の拡大) タマネギの発芽状況。藁...

播種:ニンニク

 夜の間に雨が降ったが、予定している畑作業に支障が出るほどではなかった。


タマネギの発芽
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 タマネギの発芽状況。藁の覆いを取り除いた翌朝の姿。
ニンニク植え1
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 ニンニクを植えつつある畝。
 昨年11月から今年5月までソラマメが生育していた畝。夏中、草が生えるがままになっていた。背景に草が生えている畝(カボチャを作っていた)があるが、それ以上に高い草(主としてエノコログサ)が生えていた。その草を直前に鎌で刈り倒した。
ニンニク植え2
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 ニンニクは、草をかき分けて植える場所を作り、そこに12㎝おきにスコップで穴をあけて種を入れる。普通ニンニクは70球、葉ニンニクは18球植えた。
サツマイモの畝
(クリックで画像の拡大)
 草を除いたサツマイモの畝。
 6月下旬に蔓を植えたから、三カ月以上経っている。一番手前の株は、9月始めに草取りをしたもの。他の株とは葉茎の繁り方が違う。霜が降りるまであと一カ月あまり、葉茎は、したがって芋は、どのくらい大きくなってくれるだろか。
タマネギの発芽状況
 畑に着いてまず、9月22日に種蒔きしたタマネギの発芽状況を確認する。そろそろ覆っていた藁を除いてやってもいい時期のようであった。タマネギはうまく管理してやらないと発芽率が悪くなる。管理の仕方については、9月8日の「村便り」の画像で説明した。発芽管理の最後は、覆っていた藁を除くことであるが、この時期の見極めが難しい。発芽が始まったので慌てて藁を除くと、まだ発芽していない種が日の目を見ないままになる。好暗性発芽に適した条件を除かれ、さらに、土が乾燥するからである。しかし、欲張って藁を覆ったままにしていると、早く発芽したものはモヤシ状態になる。他方、藁を除くのは慎重にしないと、藁の間に挟まっている苗が抜けてしまう。少しずつ、ゆっくり、そっと、といった動作で除く。藁は夕方に除いたが、今年は種蒔きして雨が降り土壌水分が好適な状態だったこともあり、満足できる発芽率であった。

 今日の農作業の予定は、白菜とキャベツ類(キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー)の追肥と、ニンニク植え。

白菜とキャベツ類の追肥
 ニンニクは草が繁っている自然畝を草刈りして植えるので、草を濡らしている露が乾くまで待つことにして、白菜とキャベツ類の追肥にとりかかった。

 白菜は肥料食いである。二、三回追肥をして、寒さで成長が止まるまでに葉の数をかせぎ、大きく結球させなければならない。だから、肥料の少ない畝では、結球に至らず冬を迎えてしまう。自然畝では葉数が少なく、葉の開いた白菜しかできない(私の経験によれば)。しかも、白菜は食い残しが多い。いわば白菜は飽食の現代人のようなものである。
 キャベツ類は、ひさしく自然畝で栽培していたが、今年は慣行畝に変更した。やはり肥料が効いている慣行畝は生育がいい。その生育を見ると、禁欲的な自然畝栽培で長いあいだ忘れていた感動を覚える。だからと言って、自然農法をやめようとは思わない。全品種ではないにせよ、小振りの出来であるが安定した栽培法を編み出したい。自然農法は未来を開く一つの方向だと考えているからである。

ニンニク植え
 ニンニクは自然畝栽培に決めている。小振りだが、出来る。夏のあいだ繁った草を刈ることから始めた。ニンニクを植える予定の畝にはヒルガオがところどころに生えている。ヒルガオは地下茎を伸ばして繁殖するので見つけ次第抜き取ることにしている。多年草は自然畝から除外するのが私の方針である。ヒルガオを抜くと長い地下茎がずるずるとついてくる。できれば、この地下茎も抜き取る。

 ニンニクは普通ニンニクと葉ニンニクの二種類。葉ニンニクは南方系のニンニクで、色は紫色。春先、茎が柔らかく伸びてきたときに利用する。種球は小さいので、利用しにくい。わが家のシェフは、茎はにおいがきつい、と言って葉ニンニクは使ってくれない。そこで、近年は、いつか利用するときが来るかもしれない、と思いながら種取りのためだけに栽培している。でも、今年は別に25球ほど慣行畝に植えた。茎が成長したら、もう一度使ってくれるよう、シェフに頼んでみるつもりである。

サツマイモ畝の草取り
 畑の作物の中に夏中、気になっていたものがある。サツマイモである。苗を植えてから一度も草取りしていないので、草の中に埋もれ、葉茎が成長できないでいた。去年はイノシシにやられた。今年はイノシシが来ない代わりに、勢いの強い夏草が萎縮させた。受難続きのサツマイモ栽培である。夕方、日が傾きはじめたが、畝の草刈りをする決心をした。

 草取りをしていると、腹立たしいような悲しいような、鬱屈した気持ちになった。種蒔きをして発芽する、苗を作って定植する。そこまではうまくいく。しかし、それからは成り行き任せ。草が生い茂り、肝心の野菜はうまく育たない。こんな気持ちになるときはいつも「賽の河原」という言葉を思い出す。そして、もしかしたら、自分は前世きっと田畑を売ってまで道楽三昧に耽った百姓だったんだろう、と思ったりする。

 暗くなりかけた畑で草刈りを終えると、芋の、植えてから三カ月以上もたったとは思えないほどに貧相な葉茎が姿をあらわした。安堵半分、気落ち半分の気分だった。
コメント
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てつ人 ( 2007/10/03 11:02 AM )
 
 やはり設計料は高くなる傾向にあるのですね。
 家を建てるとき建材には化学処理がしていないものを使いたいと思っていますが、そんなものは特別に調達しないかぎり、手に入らないのですね。生のままの木材を使ってほしい、なんて注文したら、高くつきますよ、と言われるのが落ちということなりますね。木が高くつくので、こじんまりとしたつましい家を建てる。家だけではなく、生活全般がこじんまりしてつましいのでいいと思いますが、すると、工業が儲からなくなる。経済成長が停滞する。それじゃ困る、と言って、新建材をふんだんに使って早く安く家を建てる。どんどん家が建てば、結果的に、国全体の金回りがよくなる。だからといって、負債がなくなるわけではないですよね。かりに国の借金がゼロになったとしても、それだけ経済が潤えば、じつは《負債》がどんどん増えている。負債といっても人間相手の金の貸し借りにかかわるわけではありません。あるときふと環境全体を見渡すと《借金》だらけ、人類は「人間らしさ」を失って《自殺》に追い込まれます。

 「化学肥料」や「農薬」は、人間の欲が要求するものです。工業が要求し、飽食をしたい消費者が要求する。だいたい先進国の人間は食いすぎです。消費のしすぎです。60億(でしたっけ)の人類全体が先進国並の生活水準を要求したら、間違いなく地球の破滅ですね。「自然農法は未来を開く一つの方向だと考えている」と書いたのは、欲望の限りない膨張という破滅的な未来を幻視しているからです。

> 先日、八百屋さんとの雑談の中で聞いた話ですが、最近の種はその年に蒔けば発芽しますが、来年に持ち越したら発芽しない種ばかりになっているとの事でした。

 一年しか寿命がないようにプログラムされた種を生産するだけの技術が開発されているかどうかは知りませんが、僕の経験では2年後、3年後でも十分に発芽します(野菜によって種の寿命の長短が違いますから一概には言えませんが)。ただ、今はF1種(一代交配種)が主流になっており、この種は、採種しても、次代には親と同じような形質は出ません。ですから、同じような形質の野菜が作りたければ、種を買うしかないわけです。たぶんF1種は化学肥料や農薬とセットになっているのでしょうね。露骨なのは遺伝子組み換え作物。農薬会社が開発し、農薬とセットして販売しているものがあります。
 僕はできるだけ固定種(自己採種しても次世代に同じ形質が期待できる)を使うようにしています。そして採種が簡単なものは自家採種します。

> 田畑の草取りや草刈も、立派な仕事と思われるような世の中になって欲しいものです。草取りで生活出来たら私の眉間のシワは確実に吹っ飛びますよ。ははははは!

 そうですね。もう過去の人になりましたが、経済成長を維持する、といいながら、他方で、額に汗して働く人が報われる社会を!なんて美しい大嘘を口にしていたshushouがいましたが、そんな美しい社会を本当に実現したければ、経済成長なんて棄てるべきです。
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にら ( 2007/10/03 01:00 AM )
 
>この変更で、設計料が高くなる、ということはないのでしょうか。

今後、高くなることはあり得ます。少なくとも安くは出来ないという口実にはなります。総予算が少なければこちらも設計料の値引き交渉もするわけですが、いくらが適正価格なのかが難しいところです。今回は構造的な審査が増え、化学物質や耐火の基準に適合したものが使われるか全て設計段階で確認されます。こちらも、その増えた調査だの書類作成の手間に対して安くしてくれとは言えません。
ところで現在ほとんどの建材には化学物質が使用されていますが、早く安くを追求した結果です。人の身体に多かれ少なかれ害を及ぼします。いっその事、建材に化学物質の使用を禁止すれば、余計な書類も作らず事は非常に簡単に進むのですが、そうするとメーカーが成り立たない。経済の後退に繋がるのでしょうね。
この国の現状から言えば、1,000兆円以上の借金返すのに、そんな政策はありえないでしょうね。

農作物にしても同じようなところがあるのでしょうか。
化学肥料、農薬の使用を禁止すれば化学物質過敏症を発症する患者さんは確実に減る。(現在増え続けていて、誰でもいつかは発症する可能性はある)しかしメーカーや肥料やさんは店じまいし職を失う。大量に収穫できなくなるから農業機械も要らなくなり機械メーカーは倒産する。やはり経済の後退ですか。

先日、八百屋さんとの雑談の中で聞いた話ですが、最近の種はその年に蒔けば発芽しますが、来年に持ち越したら発芽しない種ばかりになっているとの事でした。だとすれば、種屋さんの商売のための凄まじい技術開発があるものです。その年に余ったら捨てて、来年はまた買わなければいけないとはもったいない話です。

化学や工業の発展を抑えれば、人間はもっと自然な人間らしさを復活させられるでしょう。田畑の草取りや草刈も、立派な仕事と思われるような世の中になって欲しいものです。草取りで生活出来たら私の眉間のシワは確実に吹っ飛びますよ。ははははは!
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てつ人 ( 2007/10/02 01:23 PM )
 
にらさん

> ここ数日間の村便りを拝見しながら、次から次へとなんと多品種な作物をつくっておられるのかと感心しております。

 年がら年中、種蒔きをやっているのではなく、今は秋の、畑の農繁期だから多品種を種蒔きしているのです。多品種なのは、僕が販売農家ではなく自給的農家である、ということもあります。食卓をできるだけ自給野菜でまかなおうとすると、種類を多くする必要があります。販売農家はモノ・カルチャーです。
 販売するだけの耕地面積をもっていない小農の屁理屈かもしれませんが、農家の基本/理想は自給自足であり、その延長線上に販売がある、と考えています。まず販売、まず利益、という思考回路が問題を生じるのではないでしょうか。


> その辺、我々物づくり(工作物)をする者は手抜きさえしなければ計算した通りの物が予定通りに出来上がります。農業に比べれば簡単な事をしているだけかも知れません。

 話がずれますが、にらさんのHPでの最近の「きまぐれ」に、確認申請の仕方が変わった、という話が書かれていましたね。細かい部品の詳細まで記述しなければならない、というのは素人の頭ではパニックになりそうです。最初からがんじがらめに縛りつけていては、途中で何か閃いても、没にせざるをえないじゃないですか。申請方法の今回の変更は、偽装をなくす一つの方法とは思いますが、現実を考えない、いかにも役人仕事のように思えます。この変更で、設計料が高くなる、ということはないのでしょうか。

> 野菜は野菜らしく生き生きと育ち、たまには草と同居し、それもまた美しく、それをつくり上げる満足感を味わいたいものです。そこに仲間が集まってわいわいがやがやと来れば、それほど楽しいことはないです。

 「手繋楽」ですね!百姓仕事の楽しさの一つは繋がりだと思います。競争、対立、孤立といった方向に進む現代社会に対するアンチ・テーゼです。野菜と手を繋ぎ、雑草や虫と手を繋ぎ、人間仲間とも手を結び、それで身を養えるのは本当に楽しみです。
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にら ( 2007/10/02 01:30 AM )
 
自然相手の労作は何かと苦労が耐えませんね。
その辺、我々物づくり(工作物)をする者は手抜きさえしなければ計算した通りの物が予定通りに出来上がります。農業に比べれば簡単な事をしているだけかも知れません。
ここ数日間の村便りを拝見しながら、次から次へとなんと多品種な作物をつくっておられるのかと感心しております。それも一人で尚且つ二足のワラジでしょうから、それは大変な事と思います。そのやる気はどこからくるのかと思っていたところですが、少し分かったような気がします。

>全品種ではないにせよ、小振りの出来であるが安定した栽培法を編み出したい。自然農法は未来を開く一つの方向だと考えているからである。

この言葉がキラリと光っておりました。
今はまだ一切手掛けておりませんが、いつかその編み出された自然農法を私自身も実践させていただける時がくることを望んでおります。
出来うれば、私のような初心者でも分かるような解説書でもありましたらありがたいです。「草取りはマメにやりましょう!」だけなら私にも出来そうですが、それ一つとってもコツがありそうですね。(しかし、それだけだったりして)

「一日体験入農」近ければその大地と触れ合いたいものです。草取りのスペシャリスト?として修行したいものです。自然がどうのともてはやされますが、本来自然ほど厳しく辛いものはないと思えば苦も苦じゃなくなります。本当に美しいと感じるのはその後じゃないでしょうか。野菜は野菜らしく生き生きと育ち、たまには草と同居し、それもまた美しく、それをつくり上げる満足感を味わいたいものです。そこに仲間が集まってわいわいがやがやと来れば、それほど楽しいことはないです。(ここで草取りの達人の存在を忘れてはいけない)
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