てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2007-07-28(土)/29(日) (まだまだ田の草取りは続く)
投稿日:2007-07-30(月)
 28日(土)と29日(日)は田の草取りで明け暮れた。(クリックで画像の拡大)キジの巣には、三個をのぞいて、割れた卵が残っていた。親鳥はもう姿を...

 28日(土)と29日(日)は田の草取りで明け暮れた。
孵化した卵
(クリックで画像の拡大)
キジの巣には、三個をのぞいて、割れた卵が残っていた。親鳥はもう姿をあらわさない。孵化した雛鳥とどこかに移動したのだろうか。
コナギ
(クリックで画像の拡大)
稲の株間に生えたコナギ。
 株間に生えた草を中腰で取るのが田の草取り。膝を少し曲げ、腰から身体を折る。顔は稲の間に突っ込んで草を引き抜く。「田を這う」とはまさに的をえた表現。足元はぬかるんで不安定だから、足腰を鍛え、身体を絞るための格好の〈スポーツ〉にもなる。水を張った田んぼのなかは思ったほど暑くない。

〈キジの巣〉事件、落着
 28日に屋敷に着くとまず、この三週間の恒例となっている、キジの巣の確認。親鳥はいなかった。卵を確認すると…卵が孵化している!9個あった卵のうち、6個が孵化したようである(孵化していない卵から逆算)。従姉に話すと、昨日見たが親鳥はいなかった、との返事。私は一昨日、親鳥を確認したから、26日から27日の間に孵化して、雛鳥は親鳥とともに転居した、と思われる。しかし疑問は残る。孵化した雛鳥がすぐに親について歩くことができるのだろうか。キジの生態には疎い私は、孵化して転居、ということで自分を納得させた。ともかく、卵のいくつかが割れて、親鳥がいなくなったことで、〈キジの巣事件〉は落着。

イノシシ登場
 草取りに田んぼに行くと、隣接する他家の休耕田にイノシシが掘ったような跡が残っていた。その休耕田を見渡すと、水の溜まったころでイノシシが遊んだような跡があった。さいわい、我が家の田んぼには侵入していなかったが、一カ月もしないうちに始まる出穂にそなえて近々、去年同様、ダミーの電気柵を張りめぐらさなければならないだろう。イノシシは、充実し始めた稲穂を、茎を押し倒して、吸うように食べる。そうなれば、実際上、収穫はゼロである。

ヒエ以外の雑草
 草取りの主たる対象はヒエであるが、ダブには、ホタルイやコナギやオモダカも生えている。田植え後10日前後に散布する除草剤[初期剤]はヒエには効く。ところが、ホタルイなどは、その除草剤の効力がなくなってから発芽する。むろん時期をずらして二度目の除草剤[中期剤]を使えば、遅れて発芽した草を枯らすことができるが、二度も草枯らしを撒きたくない。だから、我が家の田んぼの場合、ヒエは確実に少なくなるが、ホタルイなどは一向に減らない。

 炎天下の草取りは、傍目には、酔狂以外のなにものでもない。そして私自身からすれば、やはり酔狂だろうか、なかば自虐的な快感(?)がないでもない。28日は3リットル、29日は2リットルの水で太陽をしのいだ。
コメント
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にら ( 2007/08/08 01:48 AM )
 
ヒエ~!!!
(取り乱しました)
いや、田圃のヒエのように生命力のあるわたしではありますが、時には葦のようにか弱い人間です。がどんな風が吹こうがまた元に戻れる粘り強さもあるのが自然です。

あと一ヶ月余りですね。それまでその「天然の術」を磨いておかなければ!
今、その対決の行方が目に浮かびます。先ずは心を無にして瞑想し、焦らず、冷静に敵の出方を伺う。うーむ、これは手強い。・・・眉間のシワにもの言わせ、無言の術か・・・(私は顔力はありますがシャイで無口なのです)
いっそのことレポートでも渡そうか・・・

いずれにせよ、歴史に残るその時を迎えられることに身震いしております。
ここはどうでしょう。折角のこの対決をどなたか立ち会ってみようという勇気のある方はいらっしゃらないでしょうか。この歴史に残る名勝負のその時を、生き証人として後世に伝えて欲しいのです。(念のため、只今しらふです)
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てつ人 ( 2007/08/07 02:13 PM )
 
> 毛虫が出たら誰もがやる殺虫剤を使うのではなく、ひたすらケムシを捕ればいいのです。結果は貧困生活にも耐えられる丈夫な身体を戴きました。食糧難がどうのこうのと騒がれておりますが、何故か私ほとんど心配はしておりません。

 トヨタがカンバン方式で世界的なメーカーになったのと、にらさんが手間をいとわずケムシを一匹一匹取り除くのとは、目指す方向は違いますが、基本を心得ているという点に関しては一致しています。無駄な金は一切使わないトヨタは利潤追求の基本を心得ていますし、使いこんで身体をよくするにらさんは人体の基本を心得ています。身体はもともと使うためにあるのですから、楽をしようと横着をきめこむと身体は退化します。
 食糧難は農地の有効利用と飽食の悪習慣を打破することで、世界的規模で解決、ないし緩和されます。みんなが「天然」で生きるようになれば、多くの問題(食糧難、環境汚染)は問題ではなくなります。
 そう考えると、にらさんは鉄人かつ哲人かな…

 その「てつじん」殿に本家「てつ人」から果たし状を近々送ります。来月半ばを予定しています。ご覚悟のほどを。
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にら ( 2007/08/06 01:11 AM )
 
本題から外れて申し訳ありませんが、
トヨタ生産方式という生産管理手法があります。当時、どこもやっていなかった特に画期的なところをとってカンバン方式とも言います。メーカーの生産手法としては有名になりました。
世界のトヨタとなりその内容は高度な技術や手法が組み合わされた難しいものと思われるかもしれませんが、その起源はいかに利益を上げるかという単純なところからです。組み立ての工程の中で余計な部品の在庫は持ち込まない。歩留を無くし余計なカネは使わぬように考えられた一手法です。もちろん工場の中でヒトがいかにやり甲斐のある作業が出来るか等も考えられているようですが、企業である限り利潤追求が原則であり、現場優先で真面目に忠実に実行した結果成功し、カンバン方式という名が付けられたその手法が有名になったというところです。

カンバン方式(トヨタ生産方式)という完成された手法をやれば良いのではなく、とにかく在庫を減らせばいいのです。結果は世界のトヨタとなりました。(他の要因も当然あります)
毛虫が出たら誰もがやる殺虫剤を使うのではなく、ひたすらケムシを捕ればいいのです。結果は貧困生活にも耐えられる丈夫な身体を戴きました。食糧難がどうのこうのと騒がれておりますが、何故か私ほとんど心配はしておりません。

ある講習会でメンバーの一人から私について 「天然ですよね!」と言われた、と言うよりも念を押されました。(俗に言う天然ボケ!?)
一瞬ためらいながら 「そうです。私は天然ですよ!}と自信をもって誇らしげに答えました。私はこの大宇宙の中で自然に素直に在るがままに生きている人なんだと言っていただけるとは嬉しいことではありませんか。(正直心底複雑)

人類史上、人間はこの大自然の猛威に勝てたことがあるでしょうか。これからも永遠にそんなことはありえないでしょう。対して法人(企業、会社等)とは必ずいつか滅びるものです。トヨタも車の次を模索中です。
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てつ人 ( 2007/08/02 05:47 PM )
 
> 元々ヒトはあるときは厳しい自然の中で生きるために、自らの力で苦難を克服しながら生きて初めて自然との調和が取れるのではないかと思います。

 「テツジン」という名前はにらさんに献上したい、と思ったりしますが、じつは、にらさんの生き方は自然な生き方で、けっして人並みはずれたテツジンの生き方ではないのですね。今どきの日本人の生き方が並はずれてしまったので、にらさんの生き方がテツジン的に思えるだけです。

 ケムシとりをやったら体調がいい、というのも逆説的のように思えて、自然なのですね。面倒な手作業をやめて殺虫剤で一発、というのは、身体に負担をかけないように見えて、じつは身体のためによくない。なにしろ動かない。逆に、アクロバティックなヨーガ体位法もどきの姿勢を繰り返しながら何十匹(何百匹?)のケムシをとると、血の巡りがよくなる。また、不注意で殺虫剤を吸ってしまえば、己も虫の運命(農薬事故はよくあります)。殺虫剤が残留したブドウを、うまい、うまい、と食べれば、虫下しならぬ〈人間下し〉を飲むようなもの。ブドウがまずいのは、本当は安全な食品のしるしかもしれません。美味しい農産物を作るには、一般に、肥料と農薬を多用しますから。

 にらさんとの「手合わせ」がますます楽しみになってきました。いや、怖くなってきました。はしっ、と見合った瞬間に、にらさんの気に圧倒されてはね飛ばされてしまいそうです。


> 勘違いかも知れませんが、割れてない卵が3個あったのでしょうか。
だとしたら、それは今年の「お中元」だったのかなと思いました。

 その通りです。割れていない卵が3個残っていました。散文的に解説すれば、無精卵だった、ということでしょう。無精卵は珍しくないようです。キジは一夫多妻/一妻多夫の乱婚状態のようですから、あせってうまく種付けができなかったのでしょう。そして、はずれ卵だから、食いたければ食え、と残していった、と思われます。

> キジはあっけない幕切れでした。
ドラマを期待したのですが、キジにはそんな余裕はなかったのでしょう。

 キジの母子は nomade[車種名にありますね、「流浪の民」]なのかな、と想像します。小さいころ、山道を走るバスに乗っていたとき、バスの前をキジの母子がバタバタと横切っていったのを見た記憶があります。先頭を走る母を雛たちが追いかけていきました。バスの運転手さんは「キジじゃ!」と叫ぶや、バスを止め、キジを追いかけましたが、アホな人間に捕まるほどドジなキジではありません。茂みのなかに姿を消しました。まだ日本人が飽食せず自然な状態に近かった時代の話です。いまのバスの運転手ならバスを止めないでしょうし、また、そんなことをしたら、山道でも交通量の多いこのごろ、後ろからクラクションを鳴らされるでしょう。
 あっ、そうだ。また小さいころの話ですが、キジの肉を食べたことがあります。動物性のタンパク質といえば、魚主体の時代、味は覚えていませんが、ご馳走だったように記憶しています。今は無許可でキジをとってはいけないんでしょうね。
 話を元にもどすと、母キジは孵化した雛たちを連れて、早速nomadeの生活を始めた、ということでしょう。
 …書いていると、口のなかに涎が出てきて、とまりません。
 では、また。
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にら ( 2007/08/01 03:47 PM )
 
田の草取り、ご苦労様です。
中腰のその姿勢は辛そうです。
大昔、部活でしごかれたのを思い出します。よく考えればそれは先輩達の愛のムチだったのです。お陰様で大会でもそこそこ良い成績を収めました。それよりも何よりも、耐えることを知り体力的な自信をもち、薬を飲んだり医者に掛かることもなくここまで生きてこれました。

我が家の庭兼事務所のフルオープン打ち合わせルーム(予算が無く壁が作れない)にブドウの木があります。西日避けが目的なのですが、ケムシなどに葉っぱを食い荒らされ、普通なら薬を噴霧すれば一殺なのでしょうが一匹づつ割り箸で捕りました。絡まる枝を避け、他のケムシに身体が触れぬように細心の注意を払いながら、身体を捻り、向きを変え、中腰になったり思いっきり背伸びしたりで毎日数十匹は捕りました。Ⅰ,2週間続けましたが終わる都度身体の調子が良いのです。これは多分、ヨガと同じような効果があったのではないかと思います。

元々ヒトはあるときは厳しい自然の中で生きるために、自らの力で苦難を克服しながら生きて初めて自然との調和が取れるのではないかと思います。ケムシ捕りと言う業を与えられ、その報いで健康な身体を戴いております。おまけに不味くはありますがブドウも食べられる。
市場経済のためには殺虫剤を使い、衰えた体力回復にエアコンの効いたスポーツクラブに行き汗を流し、エアコン効かした車で移動する。身体の調子が悪くなれば医者に行き薬を飲みで、思えば全部人任せで自然じゃないです。

キジはあっけない幕切れでした。
ドラマを期待したのですが、キジにはそんな余裕はなかったのでしょう。
勘違いかも知れませんが、割れてない卵が3個あったのでしょうか。
だとしたら、それは今年の「お中元」だったのかなと思いました。
だとしたら、どんな物より感動させられます。
(決して「慌てて逃げて行った」などと思わない事が肝心です)
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