てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2012-03-19(月) (踏み込み温床)
投稿日:2012-03-22(木)
 明日は春分の日。「暑さ寒さも彼岸まで」だとすれば、温床は次第に要らなくなるころともいえる。 温床育苗を始めたころは、3月始めに温床...

 明日は春分の日。「暑さ寒さも彼岸まで」だとすれば、温床は次第に要らなくなるころともいえる。

 温床育苗を始めたころは、3月始めに温床を作っていた。3月前半はまだまだ寒い。最低気温が氷点下になる日もある。最初のころは踏み込む藁、すなわち《発熱剤》、の量が少なく、また、温床を防寒する工夫も分からなかったので、せっかく発芽しても、寒さで枯れてしまうことがあった。そこで、温床作りを半月ずらして3月半ばにした。いまであれば、踏み込む藁の量が多くなり、また、防寒の方法が分かってきたので、畑のあるところに住んでいてこまめに温床の世話ができさえすれば、3月頭から温床育苗を始めても失敗しないとは思う。しかし、通いの兼業農家という身を考え、無理はせずに、いまでも3月半ばから開始のスケジュールを踏襲している。

 今日は午前中を使って、温床に藁を踏み込むことにした。



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骨組みに藁を網つける作業を始める。第一温床。3月16日。温床の大きさは、幅80㎝、長さ260㎝、深さ(高さ)60㎝。
 

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藁を編みつけ外枠を完成。左が第一温床、右が第二温床。第二温床の大きさは、70㎝(幅)×200㎝(長さ)×45㎝(深さ)。
 踏み込み作業だけでたっぷり半日はかかるので、それまでの作業はあらかじめ済ませておいた。3月15日と16日には午前中、温床の外枠作りをした。竹で骨組みをつくり、それに藁を編みつける。温床は二つ作る。ひとつは藁をたっぷり踏み込む温床(第一温床)。そこでは、高温が必要な野菜の育苗をする(トマト、ナス、ピーマン、アマトウガラシ、サツマイモなど)。もうひとつは、藁を踏み込みはするが、発熱剤よりはむしろ断熱剤として利用する温床(第二温床)。こちらでは、里芋の芽出しを行い、空いたスペースは第一温床で育苗している苗が成長した際に、その移動先として利用したりする。

 さらに3月17日の夕方には、踏み込む藁を田んぼのワラグロから畑に運び込んだり、藁カッターに給油したりして、すぐにでも、藁の踏み込み作業が開始でき、また、作業が完了したらそのままビニールで被覆できる状態にしておいた。



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手前の藁カッターで藁を裁断し、その藁を温床に踏み込む。
 

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温床の完成。
 第一温床は、踏み込む藁は200束(稲刈りのときにバインダーが結束する束を1束と勘定する)。藁を数㎝重ねると、発火剤として鶏糞と米糠をその上から撒き(藁が発酵するにはチッソが必要である)、如露で水をかけて湿らせてから、足で踏む。その過程を何回も繰り返して、また、4時間ほどかけて、最終的には50㎝ほどの厚さに藁を踏み込む。じつに単調な作業である。

 百姓を始めたころは、ナスやトマトやピーマンなどの夏野菜の苗は購入していた。父がそうしていたからである。しかし、父はサツマイモの苗は自分で作っていた。また、里芋は芽出しをして定植していた。そのために小さな踏み込み温床を作っていた。そしてわずかに空いたスペースにナスを蒔いて、育苗していた。私が温床を作り始めたのは、父と同じ目的だった。しかし、さらに夏野菜の育苗もするようになった。(このあたりの事情は、本格的に温床育苗したころの記事「天地人籟:☆ 2003-03-20 ☆ 踏み込み温床」に詳しい。)


梅の花の蕾
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梅の花の蕾。
 今年は梅の花の開花が遅いのだろうか。畑の隅にあるこの梅は比較的咲くのがおそいが、彼岸が明日というのに、まだ開花していない。しかし、蕾の状態からして二、三日のうちに開花が始まるだろう。
 夏野菜の苗は高額ではない。手間と労力と時間を考えれば、購入する方が自分で育苗するより《安上がり》だろう。今の時代に、自分で、しかも昔のやり方で、育苗をするのは酔狂でしかあるまい。踏み込み作業をやっていると自分でもうんざりしたりする。それでもなぜ温床育苗をつづけているのか?
(ここまで書いて中断しました。書きついでから掲載しようとすると、結局は掲載できなくなる可能性があるので、途中ですが、このまま掲載します。)
コメント
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てつ人 ( 2012/03/23 03:19 PM )
 
あっ! そのとおりですね。僕としては疑問文の後に、実際的な/趣味的な理由、また《哲学的》な理由を続けて書くつもりでした。でも、そのような理由は結局のところ周辺的な理由であり、核心は、ずばり、狩猟採集するのではなく、種から、苗から育てて食料を生産するという農耕民のDNA、骨の髄までしみこんだ習性ですね。

種蒔きするとき、僕の心のなかではよく涎が出ています。これが成長したらおいしいぞ、と思いながら。農耕民のしばしばうんざりするような作業を深いところから動機づけてきたのは、その《涎》なんでしょうね。

今日は卒業式です。あいにくの雨の日ですが、卒業生たちは晴れ着に身を包んで嬉しそうです。これから社会の荒波にもまれながらも、立派に《開花》、《結実》してほしいものです。
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藤田 典 ( 2012/03/22 10:03 AM )
 
連日の農作業、お疲れ様でした。
百姓をしていない当方が言うのも何ですが、
「苗から」育てるというやり方を、農耕民族のDNAとして、
多くの人が受け継いできたのではないでしょうか。
それから、野菜だけに限らず、小さな庭木が実をつけただけで、
妙に嬉しくなってしまうものです。
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