てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳
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村便り:2007-05-07(月) (新緑の中を走り抜ける)
投稿日:2007-05-07(月)

 畑と田んぼでの仕事が一段と忙しくなった。「村便り」は、懸念していた通り、執筆時間がとれず中断してしまった。 畑は作業に割くことが...

 畑と田んぼでの仕事が一段と忙しくなった。「村便り」は、懸念していた通り、執筆時間がとれず中断してしまった。

 畑は作業に割くことができる時間が少なくなると、播種は「間引き運転」をする。作付け予定表通りに野菜を作ることは私の現状では無理である。蒔くべき畝ができていないときには、ポット育苗して時間稼ぎこともある。しかし時間が稼げず、大きくなりすぎた苗を定植することもある。また、発芽しても草取りをする間がなく、草の中に埋もれさせてしまうこともある。「芽が出るまでの楽しみ」そう従姉は私の野菜作りを評するし、また私自身もそうだと思っている。

 ところが、稲作の場合はそうはいかない。主食ではあるし、田植えができなければ、農協の育苗センターに注文している苗を無駄にしてしまうことになる。だから田植えの一カ月前くらいから尻に火がつく。大げさでなく、働きづめに働いて、田植えに間に合わす。

新緑
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新緑の灰ヶ峰。5月1日16時。
 五月の初夏は、なかなか手をかけてやれない畑と、何としてでも予定日に田植えをしなければならない田んぼとの間を往復しながら、新緑の中を走り抜けることになる。

 そんなわけで、4月28日(土)から5月6日(日)の、いわゆる「大型連休」は毎日、新緑をいやというほど「楽しんだ」。5月1日(火)と2日(水)は授業がある日なので休暇をとるわけにはいかず、夕方の時間を農作業にあてた。

 昨日、5月6日(日)は雨。朝8時からの井手堰き[田植えを前にしての農業用水路の協同整備作業]を終えると、農作業ができない雨のせいもあろうが、さすがに気力(と体力)が萎えた。午後は休養して、明日(すなわち今日)からの「連戦」にそなえた。

 以上、元気に生きていることをお知らせする短信でした。
村便り:2007-04-15(日) (痛む腰を友に種蒔き)
投稿日:2007-04-16(月)

 相変わらず腰の調子が思わしくない。しかし痛みは軽くなっている。腰に負担がかかる田んぼでの仕事が本格化するまでに腰の状態をもとに戻...

 相変わらず腰の調子が思わしくない。しかし痛みは軽くなっている。腰に負担がかかる田んぼでの仕事が本格化するまでに腰の状態をもとに戻しておこう(来週の日曜日には井手堰きがあり、稲を作る以上、作業には参加しなくてはいけない)。

 金曜日夜の雨で土が湿っていたため、土曜日の畑仕事は見送った。田んぼでの作業はできるが、腰に相談して、「出勤」してデスクワーク。授業に使うプリントを印刷したりした。

 日曜日の今日は昼前に畑にやってきた。土曜日は一日晴れていたので、金曜日に作った畝は、種蒔きや定植ができるまでに土が乾いていた。ただ雨に打たれたあとの土は、乾くと薄くて硬い表皮ができたような状態になる。そのままでは種蒔きができないので、まず、三つ鍬で畝の表層を軽く掻くように耕して「表皮」を崩す。普段なら造作ないことではあるが、今日は少しやっては腰を伸ばして腰をかばうようにした。それでも痛いところがあると腰の使い方が不自然になるのだろう、腰の右側に局在化していた痛みが腰全体に広がるのを防げなかった。忙しいとゆっくりと病気にもなっていられない、と変な不平を心のなかでぶつぶつと呟きながら、作業を継続。

 種蒔きは、人参、ビート、ふだん草(うまい菜)、極早生ミニ大根。

人参を蒔く
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人参を蒔いた畝。
 人参は、平鍬で畝の方向に垂直に切ったガンギ[蒔き床]にパラパラと蒔く。蒔き床の土は、蒔く前と蒔いた後との二回鎮圧する。種を蒔いたあと、土はかけないか、かけても気持ち程度にする。今日は手前の篩で細かい土をふるいかけた。そして、発芽まで畝全体を、保湿のため、寒冷紗などで覆う。乾燥した夏期には発芽まで毎日灌水する。
 我が家では人参は決まった畝で栽培する。写真で言えば、真ん中の畝と、その右隣の畝が人参用である。写真に写っているのは畝の三分の一強。人参は連作すると肌がきれいになる、と言われている。
 人参は蒔いてから三カ月は経たないと食べられる大きさにならないから(むろんそれまでにも間引き菜は利用できる)、七月下旬から収穫することになる。人参は年に四回蒔く。まず、二月にビニールトンネル内に蒔く。それからは、三月終わりから四月始め、七月上中旬のまだ梅雨が明けない頃、最後に、九月始めに、いずれも露地に蒔く。九月始めに蒔いた人参は年明けから収穫を開始して、三月に薹が立つまで利用する。そのころにまだ残っていれば、掘りあげて葉っぱを切り落とし、畑に浅く埋めて囲っておく。二月に蒔いた人参は順調に生育すれば、六月から収穫できるから、六月から翌年四月までは人参が手に入る計算になる。

 ビートとふだん草は、ホウレンソウと同じアカザ科。ビートは、我が家では定番野菜で、サラダとして利用する。草全体が赤いのと根が太るのを除いてはホウレンソウにそっくりなので、間引き菜はおひたしにして食べることができる。ふだん草は、我が家では不人気であるが、生鮮野菜が少ない夏に重宝する。市場には出回らない(市場では珍しい?)野菜なので都会生活者にはなじみのない野菜かもしれない。老母は煮物に入れて食べる(葉っぱは肉厚で煮崩れしにくい)。

 最後にジャガイモ(男爵)を定植。全部で60片の種芋を植えた。他の三種類のジャガイモはもうすこし伏せ床においてもいい状態であった。

 一日が終わると腰のあちこちにチクチクと痛みを感じた。夜、たっぷり時間をかけて丁寧にヨーガをすると痛みはほぼ和らいだ(腰の不調が完治したわけではないが…)。
村便り:2007-04-13(金) (休暇をとって、畑作業)
投稿日:2007-04-14(土)

 金曜日だが、休暇をとって畑で畝作りをした。 温床やベランダで育苗する作物の種蒔きは着々と進んでいるが、春の露地作物はまだ種蒔きを...

 金曜日だが、休暇をとって畑で畝作りをした。

 温床やベランダで育苗する作物の種蒔きは着々と進んでいるが、春の露地作物はまだ種蒔きをしていない。伏せていたジャガイモもそろそろ定植できるようになった。今週末には畝作りをして種蒔きや定植をしようと考えていたところ、金曜日夕方から雨との予報。雨が降れば二、三日晴れなければ畑を耕耘できない。そこであわてて、授業と会議のない今日、畝作りをすることにした。

 作業を昼近く、11時に開始。今の時期は朝早くからでも作業はできるが、どうもまだ冬からの怠け癖が抜け切れない。肥料(発酵鶏糞と、畝によっては、カキ殻石灰)を撒き、それから耕耘機で土をひっくり返した。土を細かくするために二度鋤き[同じ場所を二回耕耘すること]して、畝立てした(言い換えれば、畝と畝との間に排水用の溝を掘った)。夕刻から雨が降るので、溝はどうしても上げて[掘って]おかなくてはいけない。土は耕耘すると隙間が多くなり雨をたっぷりと吸い込むので、排水溝を作っておかないとなかなか乾かないからである。

 午後は雨が時々落ちたが西の空はまだ明るかった。その空を見ながら、予報通り夕方まで本格的な雨にはならないだろう、と思いながら作業を急いだ。耕耘機はトラクターと違い、力が要る。鍬を使うのも力仕事である。ところが、数日前から右の腰が痛い。その腰をかばいながらも、次第に雨の兆しが濃くなる空に急かされて働いた。作業量と作業に残された時間を勘案すれば、昼食をのんびりと食べている暇はない。喉の渇きを癒し、多少の活力をつけるために、缶入り紅茶を飲むだけにした。

 午後も後半になったころ、段差のある個所を耕耘していたとき、耕耘機のバランスを崩して横転させてしまった。起こそうとするも、腰をかばうため力がでない。燃料とオイルが漏れだした。こうなると腰 のことを言っているわけにはいかない。慎重に腰をかがめ、身体全体のバネを使って、ハンドルを下から押し上げた。

 最後の畝を耕耘し終わったころから雨が本格的になった。おまけに雷。最後の溝上げを急いだ。雷は次第に近づいてきた。雷が頭上にやって来たところで作業を中断。17時半ごろだった。作業は、完了しなかったが、九割は終わった。
村便り:2007-04-08(日) (第二温床に里芋類を伏せ、育苗ポットを入れる)
投稿日:2007-04-09(月)

 第二温床に里芋類を伏せ、育苗用にポリ・ポットに蒔いた種を入れた。 4月4日に藁などを踏み込んだ第二温床は二日後には発熱を始めた。温床...

 第二温床に里芋類を伏せ、育苗用にポリ・ポットに蒔いた種を入れた。

 4月4日に藁などを踏み込んだ第二温床は二日後には発熱を始めた。温床は発熱を始めると《発火剤》に使った材料のにおいが辺りに漂う。第一温床は、踏み込み材料の上層まで発酵鶏糞を振り撒いたので、鶏糞のにおいが漂っていた。発酵してにおいが和らいでいるとはいえ、鶏糞はかぐわしいとはとても言えない。そこで第二温床は上層は、米糠だけを振り撒いた。目論見通り、今度は米糠のにおいが漂ってきた。

温床に伏せた里芋類
(クリックで画像の拡大)
温床に伏せた里芋類。
 左から、コイモ、八つ頭、京芋。コイモは、親芋も縦に二分割して種芋にする。八つ頭も、親芋を種芋にし、縦に数分割して使う。一番右側の空いたスペースはサツマイモのため。
 なお、コイモとサツマイモの伏せかたについては、記事「☆ 2002-03-31 ☆ 子芋とイモを伏せる」を参照。
灰ヶ峰の山桜
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山桜が満開になった灰ヶ峰の北斜面。
 「3月25日の村便り」では、コブシが咲き始めた灰ヶ峰を紹介したが、今は主役がコブシから山桜に変わった。山桜が斜面のあちこちに咲いているのがお分かりだろうか。
 温床の半分は土を浅く入れて、そこに里芋類とサツマイモを伏せる。里芋類は、コイモ、八つ頭、京芋を伏せた。サツマイモを伏せる予定であったが、種芋を畑にもって来るのを忘れたため、明日に日延べした。

 種は、長ナス、ニガウリ、スイカ、カボチャ、バターナッツ[ヒョウタン型の、表皮が黄色いカボチャ]、マクワウリ、半白キュウリ、ヒョウタン、スイートコーンをポリ・ポットに蒔いた。ズッキーニも予定に入っていたが、育苗土が足りなくなったので、これも明日に日延べ。

 今日は家族で畑に来た。子どもはツクシの玉子とじが好きなので、まだたけて[食べごろを過ぎてしまって]いないものを探し、夕飯に食べる量を採った。午後、弟がやって来た。弟は広島市内に住んでいるが、畑にはたまにしかやって来ない。やって来ても農作業を手伝うためではない。今日はワラビ探しが目的のようであった。ひとしきり私の子どもと遊んでから、近くの《ワラビ山》に向かった。なかなか帰って来ないので、猪に襲われて《遭難》したんで、と子どもと笑いながらしゃべっていると、ビニール袋にかなりの量のワラビを採って《生還》。ツクシは盛りを過ぎたが、ワラビはまだはしりだ、と言いながら、半分を分けてくれた。《ワラビ山》は草木がだいぶ繁っていたようである。手袋をはめて行かなかったので、スイバリ[手などに刺さったトゲ]が指に刺さった、とまだ刺さったままになっているスイバリを確かめていた。想像した通り、猪が地面を掘った跡があった、と言っていた。
村便り:2007-04-04(水) (第二温床の踏み込み)
投稿日:2007-04-06(金)

 第二温床の踏み込み。この温床は、サツマイモと里芋類を伏せ、また空いたスペースにウリ科やナス科の野菜の育苗をする。(クリックで画像の...

 第二温床の踏み込み。この温床は、サツマイモと里芋類を伏せ、また空いたスペースにウリ科やナス科の野菜の育苗をする。

第二温床
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藁と青草を交互に踏み込んでいるところ。
 藁は後方に見える、赤色の藁切り機で切断した。第一温床は、踏み込み材料に藁だけを使い、藁の量は200束であった。今回の第二温床(容積は第一温床と大体同じ)は青草も踏み込んだため、藁の量は減り、140束だった。青草を利用した分、乾燥鶏糞と糠も少なくてすんだ。ちなみに、作業時間は3時間。
 作り方は第一温床と基本的に同じ。相違点は、踏み込み材料に青草を加えたこと。去年、人参を作った畝に、カラスノエンドウを主体とした雑草が繁っていた。その雑草を草刈り機で刈りはらい、藁に混ぜた。まず、藁を積み、その上から《発火剤》として乾燥鶏糞と糠を振りかけて、踏む。必要に応じてジョロで灌水する。ついで、その上に草を積む。草には《発火剤》も水も加えない。青い草には水分と窒素分が十分に含まれているからである。このようにして藁と草を交互に積んでいく。

 今日は寒くて風が強かった。第一温床を踏み込むときも似た気象状況であったが、いまはもう春である。まるで冬に後戻りしたような寒さだった。材料を踏み込み始めたころ、みぞれが落ちて来さえした。みぞれは雨に変わって、作業中、降ったりやんだり。里は雨に変わっても、灰ヶ峰の山頂付近は氷雨か雪が降っているような様子だった。

 作業をしていると、隣のお姉さんが通りかかった。「今日は何しよるん?」「イモ床を作りょぉるんよ」と私。「苗が出来たら、二本ちょうだいや」とお姉さん。彼女は家の横で一畝だけ野菜を作っている。彼女に去年、余ったキュウリ(半白キュウリ)の苗をあげたところ、実がよく成り、喜んだ。人に頼まれて種をとりもしたそうである。私は「苗を買いんさる人は早よう植えんさるが、うちは苗が出来るのは遅いで」と答えた。「遅うてもええわいね。あんた方の[苗]は遅うてもよう出来るんじゃけん」とお姉さん。そこで彼女に苗を約束した。
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