てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳
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村便り:2008-04-27(日) (ジャガイモの定植完了)
投稿日:2008-04-29(火)

定植:ジャガイモ(ロズヴァル系、出島、普賢丸) 4月22日に続いて、今日もジャガイモの定植。4月22日の定植は男爵とメークインだったが、今...

定植ジャガイモ(ロズヴァル系、出島、普賢丸)

 4月22日に続いて、今日もジャガイモの定植。4月22日の定植は男爵とメークインだったが、今日は、残りのロズヴァル系、出島、普賢丸を定植する。

 一品種を定植するだけの畝はすでにできているが、残り二品種を定植する畝を、4月20日に草刈りした場所に作る。耕耘機による耕起、平鍬での溝上げ、レーキ[畝を均す農具]での均しをして、ガンギ[植え筋]を切ったところでいったん作業を打ち切って、やってきた家族と一緒に昼食。

 午後、家族に手伝ってもらい、定植(定植の様子は、4月22日の村便りの画像を参照してください)。

 今春の定植で気づいたこと。

四品種の発芽の順序
 4品種を植えたが、発芽が早いのは男爵とメークイン。ついで、ロズヴァル系、最後に、出島と普賢丸。生育の順と休眠期間[ジャガイモは一定の休眠期間を経なければ発芽しない]から言えば、普賢丸(早生、休眠期間短い) → 出島 → 男爵 → メークイン → ロズヴァル系(晩生、休眠期間長い)だが、なぜこういう順序になるのだろうか。早生の普賢丸と出島の発芽が遅いのは、おそらくは収穫から時間が経っていないので、完全に休眠から覚めていないためだろうと思われる。普賢丸と出島は秋作が種として使われている。それに対して、男爵とメークインは発芽の準備が整っているので、一番早く発芽したと思われる。また、ロズヴァル系は春作で自家採種し、冬の間に芽を摘みながら保存してきた種。それゆえ、晩生だが発芽しやすかったのだろうと思われる。

 普賢丸は、他の品種に比べて、根量が多い。勢いを感じるが、これが生育にどう関係するか分からない。もしかしたら、収量が多い?

種芋の浴光催芽
浴光催芽
(クリックで画像の拡大)
 浴光催芽している種芋。(3月15日)

 右下のトロ箱は、男爵。右上は、出島。中下は普賢丸。中上はメークイン。左上下はロズヴァル系。
 今回は思いの外、発芽の勢いがよかった。とくにロズヴァル系がそうであった。原因らしきものを探せば、日光浴をさせたためか。百姓を始めたころ読んだ本に、浴光催芽すると元気な芽が出る、と書いてあったのを思い出し実行してみた。その本には、種芋を切り分けてから5日ほど日光浴をさせ、光と酸素を十分に吸わせ、切り口を固める、と書いてあった。じっさいに試したのは昨秋だった。しかし、夏の暑い時期に切り口を上にして日光浴をさせたので、3日ほどすると種芋がしぼんでしまい、駄目になった。発芽したのは、小さいため切らなかった種芋だけだった。そこで、今春は、春先で日が弱いとはいえ、日光浴の時間を少なくした。この浴光催芽が功を奏したのだろうか。

 日光浴に関して補足すれば、切り口は乾いたら、下にした方がいい。さもないと、長時間、日に当てると芋がしぼんでしまう。あるいは、まず切る前に日光浴させ、その分、切ってからの浴光時間を短くするのもいいかもしれない。
村便り:2008-04-26(土) (キャベツ、里芋類の定植)
投稿日:2008-04-28(月)

定植:キャベツ、里芋類(子芋、エビ芋、八つ頭)連休中の作業予定 今日から5月6日(火)までの断続的な連休で、畑作業の《貯金》をし、田植え...

定植キャベツ、里芋類(子芋、エビ芋、八つ頭)

連休中の作業予定
 今日から5月6日(火)までの断続的な連休で、畑作業の《貯金》をし、田植えの準備を進める予定。畑では、作業の遅れを一気に挽回したいと思っているので、《貯金》よりは《借金返済》の方が比喩としては正確。田んぼでは、荒起こしをして水を入れる準備を完了したい。

キャベツの定植(自然畝)
 畑作業は定植や種蒔きをリストアップして、緊急度(苗が定植や鉢替えの時期になっているといった判断)と必要度(定番の野菜か否かの判断)の順で作業を進めることにした。今日はキャベツと里芋類の定植がリストのトップになっている。

定植予定地
(クリックで画像の拡大)
 キャベツを定植するために草刈りしている自然畝。

 畝の方向は縦。この畝は自然畝に転換してから丸6年が経過している。わが家の畑の場合、自然畝の春草は年数が経つにつれてカラスノエンドウが主体となる。窒素を固定するし、草の量も多い(刈り取ると草マルチになるし、表面からの肥料にもなる)ので、私はこの遷移を歓迎している。
 
キャベツの定植
(クリックで画像の拡大)
 キャベツの定植。

 上の画像と同じ場所。畝の方向に沿って2列に定植してある。モンシロチョウを寄せつけぬためにネットで被覆する。自然畝では《害虫》が少なくなることもあるが、キャベツにつくモンシロチョウは減らない。

 心配なのは根切り虫。今までの経験からすると、夏に定植して晩秋から冬に収穫するキャベツ類には被害が多い。でも、この時期は比較的少ないかも(希望的観測)。
 
里芋類の定植
(クリックで画像の拡大)
 里芋類の定植。

 休耕田には畝を2本作り、1本半を定植に使う予定であった。しかし、記事の本文に書いたように、腐り芋が多かったため、1本で十分であった。

 時刻は夕方5時。太陽の傾きが影からお分かりでしょうか。

 あっ、畝にお猿さんの足跡が! じゃなくて、地下足袋を履いた私の足跡でした ^^;
 午前中はキャベツの定植。キャベツは自然畝に定植することにした。育苗した20ポットのうち、14ポットを使い、残り6ポットは従姉に贈呈。従姉には温床の世話で援助を受けているので、苗作りの際は彼女の分も勘定にいれて育苗数を決めることにしている。

里芋類の定植(休耕田)
 午後は、休耕田に里芋類を定植した。畝の予定地は今までに2、3回耕耘したが、畝は作っていない。おまけに、草が生えはじめている。そこで、まず耕耘機で鋤きかえし、温床に伏せた芋の数を考えて畝の長さを決めた。それから温床で芽出しをしている芋を掘り出しに屋敷に帰った。

 芋を掘り出してみると腐り芋が多い。元気なのを選んで伏せた(3月29日)のだが、一カ月の間に腐ってしまっていた。伏せてからの環境のせいであるよりは、表面からはそうは見えなかったが、冬の間に寒さにやられていたのかもしれない。一緒に伏せたサツマイモは元気に育っているのだから。(推測の域を出ないが、もしかしたら、里芋類は熱さに弱いのかも。温床の藁は最初は60℃の熱を発生していたので、蒸し芋になった? サツマイモの方は高熱に元気よく反応していたが。)

 ちなみに、伏せた数と定植した数を比較すれば、子芋は68個に対して39個、八つ頭は30個に対して15個、京芋は7(+7)個に対して0個。あとから(すわなち発酵熱が多少おさまって)伏せたエビ芋は腐ったのはなかった(前段落での推測の状況証拠…)。
村便り:2008-04-22(火) (ジャガイモの定植)
投稿日:2008-04-27(日)

 3月15日に芽出しのために伏せたジャガイモの芽が大きくなった。目安としては、定植は伏せて一カ月後。今年も大体そんなスケジュールに沿う...

 3月15日に芽出しのために伏せたジャガイモの芽が大きくなった。目安としては、定植は伏せて一カ月後。今年も大体そんなスケジュールに沿うように発芽してきた。伏せたジャガイモは、男爵、メークイン、出島(春秋兼用の早生)、普賢丸(春秋兼用の早生、自家採種)、ロズヴァル系(晩生種、自家採種)で、発芽は男爵とメークインから始まった。春の植物の生長は早い。ぐずぐずしているうちにどんどん芽が大きくなる。定植が遅れると、種芋は密植してあるので根が絡み合う。さらに、芋がつく地下茎も出はじめる。男爵とメークインはそんな状態に見えるくらい大きくなった。


草刈り前
(クリックで画像の拡大)
 21日、草刈り前。
 前年秋に種蒔きしてから草取りをしないと、春の終わりにはこんな状態になる。
草刈り後
(クリックで画像の拡大)
 21日、草刈り後。
 草刈り機で草を払った後、草を集めた状態。前の写真から30分後。
 右手奥の白い花はロケット(ルッコラ)。採種予定。
耕耘
(クリックで画像の拡大)
 22日、耕耘。
 手前、草の根が掘り起こされていのがお分かりかと思う。画像を見ていただければ分かるように、耕耘機は、直前の耕耘幅の半分と重なるように、動かす。このようにして2回鋤くと、草だらけだったところも畝らしくなる。
 一番手前にわずかに見えている草は自然畝。
ジャガイモ定植
(クリックで画像の拡大)
 ジャガイモの定植。
 鍬で畝を掘り下げ、一ガンギ[畝の方向と垂直につけられた鍬の掘り下げ跡。画像では、水平の方向に並んでいる。縦ガンギ]に三つ種芋を植える。
 しかし、定植しようにも畝ができていない。4月20日に草刈りしたジャガイモ用の畝には、普賢丸とロズヴァル系を予定しているので、男爵とメークインのためには別の畝を用意しなければならない。尻に火がついた状態になり、昨日の午後、畝の草刈りをした。前回の「村便り」の画像につけた文章で紹介した、草の根を有機肥料として利用する《てつ人農法》である(爆笑)。

 さらに今日の午後、耕耘機を使っての耕耘から、畝作り、定植までの《突貫作業》を敢行。男爵とメークインは片づいた。残りのジャガイモは26日から始まる大連休に定植する予定。
村便り:2008-04-20(日) (最初の井手堰き)
投稿日:2008-04-26(土)

 朝8時から井手堰き。わが家の田んぼは三つの井手に関係しているが、今日は最初の井手堰き。この井手は、村を南北に流れる小川の中流域(村...

 朝8時から井手堰き。わが家の田んぼは三つの井手に関係しているが、今日は最初の井手堰き。この井手は、村を南北に流れる小川の中流域(村の範囲内での上流、中流、下流の区分)から水を引くので水量は比較的多い。長さは比較的短いが、関係する田んぼの所有者は多いので、作業は楽で時間も短い。

 分担を決めているわけではないが、草刈り機をもってくる人、鎌、鍬、ジョレン、スコップをもってくる人、井手に溜まっていた土砂を運ぶ軽トラックで来る人が自然に適当な人数に分かれる。私はこの井手堰きには鎌とジョレンをもっていく。

 井手の流域で近年農道を整備した箇所がある。そこには砂溜めの枡[水路の途中で立方体に掘り下げられた穴]がある。その砂をジョレンで掻き出すと、砂に混じった小石のように、シジミがたくさん出てきた。小川から流れ入って砂溜めで繁殖したように思える。一緒に作業していた婦人が、「シジミがおるんじゃね」と言いながら珍しそうにシジミを見た。「食べられるんかね。」「そりゃ、砂を吐かせりゃ、食べられるよ」と男たちが言い、ひとしきり井手の昔話になった。

 昔は井手は今のようにコンクリートで固められてはいなかった。だから、井手が曲がって流れがゆるやかになり砂が溜まるようなところにはシジミだけではなく、巻き貝もいた。わが家の屋敷の横がそんなところで、そこは野菜などの洗い場にもなっていた。しかし、今では井手は「整備」され、貝類はほとんど見られなくなった。時にカニや幼魚が流れてくることはある。また、流れが淀み泥が溜まるようなところにはドジョウがいることもある。しかし概して言えば、単純な水路になってしまった。

 井手堰きは、別の井手に関係するわが家の田んぼの当たりで終わる。そこで皆、腰をおろしてしばし雑談に興じる。数年前までは缶ビールを飲みながらの雑談だったが、いまは飲酒運転に対する規制が厳しくなったので、酒抜き。

 別れ際に、私より数歳年上の人がわが家の田んぼを見て「横手を作ったんか。ええことじゃ。畦際を上げときゃ[溝を作っておけば]、雨が降っても水がすぐ逃げる。土が湿っちょたら、機械じゃ起こせんけんの。」続けて「ほいじゃが、[田んぼが]少ないもんにゃ、これだけでも[溝にしてしまうと][米の収量が]違うんで。」わが家も「少ないもん」なので、その気持ちはよく分かる。畦でも狭くして一条でもよけいに稲を植えようとする(畦を狭くするのは、草刈りの手間を少なくするためもあるが)。最後に、その人は「この辺にくると懐かしいの。」とわが家の田んぼの並びを見た。「わしゃ、頼まれてあんた方の田んぼを耕やしょうたもんよ」とその人。父は、若いころは別として、サラリーマンをしていたときには百姓はあまりしていなかったような気がする。だから委託していた作業が多かったのだろう。


 午後は、まず隣のおばあさんの葬儀に出た。(直前の「村便り」参照。)

畑の草刈り
(クリックで画像の拡大)
畑の草刈り。

 草刈りをしているのは昨秋作付けした畝。右側(タマネギ畝の左側)の畝にはダイコンとカブ、左側の畝には菜っ葉類を作った。食べ残した野菜は花が咲いている。

 わが家の畑は春にはいつもこんな状態になる。だから、春から初夏にかけて作付けをするときには、まず草刈り機で草を払うことから始めなくてはいけない。鍬で耕すのなら、土に野菜や雑草の根が張っているので、やりにくいが、耕耘機なので問題ない。春になり草が繁茂しはじめると苛々することもあるが、根っこが有機肥料になる、と思えば、これもひとつの農法として開き直ることができる。
 一日の残りは、畑の草刈り(草取り、ではなく)。ジャガイモとサツマイモを定植するところで長く伸びた草を草刈り機で払った。刈り払うと青い草のにおいがする。花の咲いたロケット(ルッコラ)を払うと胡麻のにおいが漂った。
村便り:2008-04-20(日) (隣のおばあさん…)
投稿日:2008-04-25(金)

 隣のおばあさんが昨朝亡くなった。葬儀は今日午後一時から。 おばあさんは亡き父と同級生。3月31日生まれということだから、父より3カ月ほ...

 隣のおばあさんが昨朝亡くなった。葬儀は今日午後一時から。

 おばあさんは亡き父と同級生。3月31日生まれということだから、父より3カ月ほど年上である。88年の生涯を閉じた。

 私はおばあさんを「〇〇のおばさん」(〇〇は屋号)と呼んでいた。おばあさんはわが家の畑の隣の小さな家に一人で住んでいた。結婚はしたが、子どもをもうけたあと、また実家に戻ってきた。弟さんが近くに住んでいて、時々やって来ていた。

おばさんの家
(クリックで画像の拡大)
おばあさんの家。
 左手の、板壁に梯子がかけてある小屋、その向こうの粗壁の小屋、そのふたつの小屋と垂直に交わる方向に立っている、その向こうの小さな家。それがおばあさんが暮らしていた家である。(その背後と、一部が見える右手の、二軒の現代風の家は、他家。)手前、草の生えている畑がわが家の畑、境を接してその向こうの畑がおばあさんが作っていたところである。おばあさんが植えたキャベツやネギが見える。死ぬ数日前に入院するまでは、この一角にいつもおばあさんの姿があった。いまは家の戸が閉じられ、人影がない。見慣れた人が忽然と姿を消してしまうのは、やはりさびしい。
 私は小学校に上がる前から、村のふたつの地区のうち、屋敷がある地区とは別の、灰ヶ峰に近い地区に住むようになったので、おばあさんとの日常的なつきあいは、父の死後に百姓を始めてからである。おばあさんの屋敷には狭い畑がある。その畑とわが家の横の畑とは境を接している。だからおばあさんと私とは、いわば百姓仲間だった。

 小柄で痩せぎすなおばあさんは、腰は曲がり、耳は遠く、目は白内障で見えにくくなっていた。2、3年前に白内障の手術をするまでは、人間は少し離れると輪郭程度しか確認できなかったようである。声を聞いて「あー、あんたね」と前に立った人間が私である確認するほどであった。晩年になると身体のあちこちに痛みを感じていたようである。それでも、死ぬ直前まで畑仕事をしていた(畑は近くの別の場所にもある)。誰にも頼らず一人で生きよう、という意志が最後まで感じられた人だった。

 おばあさんの家へは車が入る道がない。そこでわが家の畑の一部を軽自動車が通れる幅だけ出入路として提供していた。夏になりその道に草が生えると、おばあさんは曲がった腰をさらに曲げるようにして草を取った。「おばさん、[うちの草をとってもろうて]ありがとう」と私が遠い耳にも聞こえるように大声で言うと、おばあさんは「こっちこそ、通らしてもらうんじゃけん。もうちょっとじゃけん、それまでは通らっしちゃてね。お願いします」と逆に拝むようにして礼を返した。「もうちょっじゃけん」という言葉に私はどう言葉を戻していいか戸惑った。

 おばあさんは鍬だけを使って、野菜をうまく作っていた。肥料は下肥も使っていた。米は弟さんが作ったのを食べていたはずだから、食べ物に関してはつましい自給自足だったのではないだろうか。昔の日本がそのまま生き延びてきたような雰囲気さえあった。

 現在わが家で作っているトウガラシは、種をおばあさんからもらったものだ、と母が言っていたのを思い出す。その事実をおばあさんに確認したことはない。確認したところで、ごく普通のトウガラシなので、「ほうじゃったかいね」と思い出せない表情で返事されるだけであったろう。でも、私はトウガラシの種蒔きをするたびに、これは〇〇のおばさんにもらった種、と記憶を新たにする。


 葬儀に列席した。母も列席した。近所の葬儀でも、母が列席すれば、私は行かないことはよくある。家と家とのつきあいだからである。でも、おばあさんには個人として最後の別れをしたかったのである。

 会場に着くと、時間前だったが、すでに椅子がほとんどふさがっていた。受け付けで香典を出そうとすると、辞退された。故人の意思により香典は辞退する、とのことであった。おばあさんらしい。死んだあとまで人を煩わせたくなかったのだろう。

 葬儀の間、私はおばあさんの思い出を反芻していた。最後の花も手向けた。母がおばあさんの弟さんに話しかけているのが耳に入った。「…ほいじゃが、しょうがないよね。こんどはお浄土で会うんじゃね。」しかし、やはり今生の別れではある。

 合掌。
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