ヤーコンを粕漬けにするため、まず下漬けをした。初めての試みなので、手順についての情報を本とインターネットから入手した。手順は以下の通りである。
(クリックで画像の拡大) ヤーコン皮を剥く。ヤーコンはしばらく水にさらす。
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(クリックで画像の拡大) ヤーコンの下漬け。
大きいヤーコンは縦方向に二つに割った。樽は10リットル。重石は5kgのもの。水の上がりを促進するために200ccほど差し水(水に対する重量比にして10%の塩を加えた塩水)をした。翌朝には水が上がっていた。
(追記:差し水は必要なかったかもしれない。) |
(1)ヤーコンの皮を剥き、水に短時間さらす。水にさらすのはアクを抜いて表面が変色するのを防ぐため。
(2)ヤーコンを、重量比にして4%の塩で下漬けする。ヤーコンには塩をすりつけるようにしてまぶす。下漬けは一週間。
(3)熟成粕を使って本漬けにする。
今日は(1)と(2)に従った下漬けである。((3)の本漬けについては、後日、別記事で紹介する予定。)
ヤーコンについては、うまい利用法が見つけられずにいた。今年は二度目の栽培であるが、
根塊は掘りあげてスクモを入れた段ボール箱に保存したままにしていた。
昨年の12月の半ば、葬儀に参列するため、日本海に向かって開ける、東北の或る地方に行った。その地方では雪が二日前くらいから降り続いていた。私は羽田からその地方に向かう飛行便に搭乗したが、その便は天候状況をみきわめるため出発が遅れたほどであった。
葬儀は、彼が生まれ育った小さなお寺で、降りしきり、降り積もる雪のなか執り行われた。本堂を包む、雪の静寂、本堂の中まで這い入る寒気、親族と親しい友人たちだけからなる参列者、本堂に響く読経の声と鉦。そのなかで、私より五歳ほど年下の彼が生きてきた生涯をしみじみと思った。三カ月前、電話で彼と交わした最後の短い、むしろ短すぎた、といまでは悔やんでいる、会話も思い出した。彼の故郷を訪れたのは初めであったし、彼の家族全員に会ったのも初めであった。その初めてが、こういう機会になってしまった。
乗り継ぎ空港の羽田に向かう飛行機から虹を見た。よく見ると、その虹は雲に映った機影を取りまいていた。機影の背後に隠れた太陽が作った虹である。じつは、彼の訃報を受け取ったとき、私は、その数日前、
稲刈りの田んぼから見た虹を思い出した。あの虹は彼が私に送った最後の signe de vie
[フランス語で「消息」の意。英語に直訳すれば、sign of life] 、したがって別れのサイン、だったのかもしれない(むろん、合理的に考えれば、私の思いなしにすぎないが)。そして、葬儀に合わせたかのような豪雪。彼はサインをいつも天空から届けてきた。
(クリックで画像の拡大) 雪が降りきしり、降り積もる。
控えの間から本堂を見る。画像上中央の銀杏は本堂の正面に立っている。割干し大根が、この地方の、そしてこの寺の、質素で堅実な生活ぶりを象徴しているようにみえる。 |
葬儀のあとの食事が終わり、控室に戻った。酒を飲んだりしながら参列者と会話を交わしていた。その席に粕漬けが出されていた。私は粕漬けの素材を尋ねた。ヤーコンであった。そのお寺で漬けたものだそうである。そうか! と思った。私はヤーコンは漬け物の素材にも適さない、と思い込んでいた。しかし、粕漬けならヤーコンの甘みが活かせる。
(あとからインターネットを調べて分かったことだが、その地方ではヤーコンを栽培してところがあり、加工品としてヤーコンの粕漬けもある。)ちなみに、彼も酒は好きだった。
こうした経緯で、むしろ《因縁》で、ヤーコンの粕漬けが始まった。