てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳
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村便り:2011-03-09(水) (ジャガイモを伏せる)
投稿日:2011-03-23(水)

 午前中、ジャガイモを伏せた。今年に入って、植付け作業は、2月20日(日)のタマネギの定植に続いて2回目。(クリックで画像の拡大)赤タマネギの...

 午前中、ジャガイモを伏せた。今年に入って、植付け作業は、2月20日(日)のタマネギの定植に続いて2回目。

赤タマネギの定植
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赤タマネギの定植。2月20日。定植した苗は19本。株間は12cm。角材(目盛が刻んである)を物差しにして並べる。
 タマネギは、昨年11月終わりに定植できなかった赤タマネギを定植した。この時期に定植しても6月になると小さめだが球になる。


 ジャガイモは、5種類を伏せた。男爵、メークイン、roseval、デジマ、ニシユタカ。男爵、メークイン以外は自家採種の芋。デジマ、ニシユタカは春秋兼用種。

ジャガイモを伏せる
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ジャガイモを伏せる。
 手前から、ニシユタカ(種芋の総重量は1kg)、デジマ(1kg)、roseval系(2kg)、男爵(2kg)、メークイン(1kg)。
 種芋は、大きいのは1片が50グラム程度になるように切り分ける。小さいのはそのまま種にする。切り口を見て考えた。デジマとニシユタカは黄色みを帯びている。男爵は白い。メークインも白いと言えようか。食味はそれぞれちがうので、食味によって使う料理を変えることができようが、色によっても使い方が変わるのだろうか。ポテトサラダにするのは、白い男爵。和風の煮物にするのはメークイン。白の地に醤油で色付けされた方が、黄の地よりもおいしそう。黄色は醤油とはマッチしないような甘味を連想させるから。などと考えたが、我が家のシェフはそんな配慮はしているのだろうか。


鳥の巣
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鳥の巣。でもどんな鳥が利用していたのだろう?
 種ジャガイモを切り分けてから、切り口が乾くまで、他の作業をした。畑の一部に木(庭木、果樹、鳥が種を運んできた雑木)が生えているところがある。この二、三年、あまり管理をしなかったのでは枝が伸び、草が繁茂して、周辺から笹が入ってきた。そのあたりの笹や枯れた草、さらには小さな雑木を切り払った。月桂樹もある。その木も枝は伸び放題。周りの笹などを刈ると、小さな鳥の巣が目についた。いまは廃居(こんな言葉はないだろうが)。中は雀一羽がおさまる程度の広さ。巣は、笹の葉で作ってあった。こんな小さな巣を一体どんな鳥が利用していたのだろうか。
村便り:2011-01-22(土) (タマネギ、2回目の追肥)
投稿日:2011-01-31(月)

 今年になってはじめての農作業をした。それらしい作業をしたのは12月26日が最後だから、じつに一カ月近く怠けたことになる。冬は真っ盛りだ...

 今年になってはじめての農作業をした。それらしい作業をしたのは12月26日が最後だから、じつに一カ月近く怠けたことになる。冬は真っ盛りだが、完全な農閑期というわけではない。やろうと思えばいくらでも仕事はある。それなのにやらなかったのは、いくつかの理由がある。半農半サラの身にとって書き入れ時である週末が業務(センター試験)や、相変わらず続けているSki遊びでつぶれたこともある。それとやはり寒さである。今年は寒さが野良に立つと例年になく厳く身に沁みる。(と言いながら、Ski遊びにほうけるときは、その寒さと雪の多さを喜んでいるのだから、勝手なものだが。)

氷筍
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《氷筍》。
 井戸からの汲み上げポンプの蛇口が寒さで凍らないように、水を少量、出し続けていた。毎年、冬には蛇口がよく凍りつき、農作業に不便な思いをしていた。寒い地域で蛇口から水を出し続けているのを見かけたことがある。それにヒントをえて、今冬、試してみた。うまくいくようにみえたが、強い寒さが続いた或る日、蛇口を確認したら、水が止まっていた。蛇口は凍りつき、その下には、鍾乳洞の石筍ならぬ、《氷旬》ができていた。
冬季うつ
 最近、学生が授業のコメントに「冬季うつ」について書いていた。私の哲学の授業と冬季うつがどう関係しているのか、細かいことは忘れたが、その言葉は心にとまった。インターネットで調べてみると、冬の乏しい日照時間に(も)関係しているらしい(学生もそんなことを書いていたような気がする)。

 私が野良に出たくないのは冬季うつのせいだとは断定しないが、冬になると百姓も含めてやる気が乏しくなりがちなのはたしかである。冬は人間も冬眠すべきだ、と若いころから思っていたのだが、人間社会はそうはさせてくれない。からだ全体のテンションが下がっているのに仕事だけは気候のいいときと同じだけしなければならない。仕事に出るのがおっくうになるのも当然か。うつ気分だとして、その気分には、私の場合、年齢性のものも混じっているのかもしれない。人生だって体力はとっくに秋。いや冬に向かおうとしている。朝目が覚めても一日に向かうエネルギーがからだから湧いてこない。暗い冬の朝のように、人生も光が弱まっている。


光療法
 今日は気になっていたタマネギの追肥をした。二度目の追肥である。今シーズンは苗作りがうまくいき、極早生タマネギは去年の11月8日に140本、普通タマネギは11月26日に500本を定植した。そして一回目の追肥を12月25日にした。

タマネギの追肥
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タマネギの追肥と中打ち[中耕]。
浮き苗
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浮き苗。
 冬の間、霜柱ができて、浮く苗が出てくる。追肥をしながら、そのような苗をまた押し込んでやる。
 やっと畑に立ったのは午後。雪がぱらつき、地面は表面が凍みていた。いつも不思議に思うが、家の中にいるときの気分が野良に出ると雲散霧消してしまう。インターネットの記事には、冬季うつの効果的治療法として光療法があげてあった。うつの闇を光が払いのけてくれるというわけか。もしかしたら私はソーラー電気で動くエコ人間?(笑)(もっとも、記事には、脳内物質とか体内時計とかに言及して生理学的な説明がしてあった。)。

 …ということで、「てつ人の雑記帳」パワーも野良で充電されればいいのですが。
村便り:2011-01-14(金) (Musan味噌)
投稿日:2011-01-14(金)

 最近、夕食の味噌汁にはムーさん味噌を使っている。年越し蕎麦に使った蕎麦粉と一緒に千葉のムーさんから送っていただいた。 自家製の豆...

 最近、夕食の味噌汁にはムーさん味噌を使っている。年越し蕎麦に使った蕎麦粉と一緒に千葉のムーさんから送っていただいた。

 自家製の豆を米麹で発酵させ、一年ほど熟成させたもの、と聞いている(じゃなくて、メールに書いてあった)。米はムーさんの畑の近在でとれたものだそうだから、材料からしても作り手からしても生粋の千葉Yotsukaido味噌。

 数日前、味噌汁を飲んでいるとき「この味噌分かる?」と我が家のシェフにきかれて、おやっ?と思った。わざわざ尋ねるのだから、ムーさん味噌を使ったのはすぐに分かった。我が家はふつう麦味噌(ただし自家製ではありません)を使う。たしかに麦味噌とは違う味である。

味噌汁
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ムーさん味噌を使った味噌汁。
 でも、味噌汁ではなく、その後ろのご飯に焦点があっているようです…手前味噌ならぬ手前米ですから、デジカメも《主人》の意を酌んで、気をきかしたのかもしれません(汗)
 味わうと、遠い昔の記憶がよみがえった。18歳の3月、大学受験直後に東北のまだ雪に埋もれた町で味わった米味噌の味である。米味噌はむろんいままでに何度も味わったことがあるが、なぜか、それら幾多の経験を通り越して、おそらくは米味噌体験の最初のころに記憶は飛んだ。その数年後、味噌汁を作ってくれた叔母さんに「あの味噌汁はおいしかった!」と言ったことがある。なぜおいしかったんだろうね、と叔母さんは首をひねった。いまから推測するに、いつも口にしている麦味噌とは違う米味噌が味覚に新鮮な驚きをひきおこしたのだろうか。ムーさん味噌はあの味へのベクトルは含んでいるが、あの味と一致しているわけではない。だからこそ、ムーさん味噌は遠い記憶のなかをさまよわせ、私は逝ってしまったあの時代と叔母さんをよみがえらそうと、はたせない手さぐりをした。

 さあうつつに戻ろう。手作りにしては粒がこなれている。そして味もこなれている(熟成している)。最初の味噌づくりとは思えない出来である。私もいずれ味噌を作ってみたい。麦味噌である。昔は畦で大豆を作っていたが、あの大豆は味噌づくりにも使われたのかもしれない。私が小さいころ、家で味噌を作っていたことがある。田舎では自家製味噌が多かったのではないか。そんなこともムーさん味噌は思わせた。
村便り:2011-01-06(木) (小豆)
投稿日:2011-01-06(木)

 年末年始の暇な時に大豆と小豆を選った。 小豆は、記憶の中で数えると、いままで3回作ったことがある。夏小豆1回と秋小豆2回である。いず...

 年末年始の暇な時に大豆と小豆を選った。

 小豆は、記憶の中で数えると、いままで3回作ったことがある。夏小豆1回と秋小豆2回である。いずれも畑で作り、2回は自然畝、1回は普通の畝である。種蒔きをしたまま、世話をしてやらなかったこともあるが、一度もうまくできたことがなかった。その体験から、小豆はむずかしい、という観念ができていた。

発芽した小豆(クリックで画像の拡大)
7月18日。7月9日に播種して、発芽した小豆。1株に3粒蒔いた。1株は2本に間引く。
 今年は、あまり期待することなく、今度は休耕田に小豆を蒔いた。休耕田には通常、里芋類、蕎麦、大豆を作るが、それだけでは、利用しないスペースができる。そこに今年は小豆と金時豆を蒔いた。金時豆も二度ほど作ったことがあるが、これもうまくいった記憶がない。蒔いたのは7月9日。発芽する前に雨が降り、土の表面が締まった。土中の種は窒息死してしまうのではないか、と思えるような締まり方であった。はたして金時豆はほぼ全滅。しかし、小豆はけろりと発芽した。


小豆を稲架に掛ける(クリックで画像の拡大)
11月7日。小豆を稲架に掛ける。手前の茎の長いのが小豆。向こうは黒豆(大豆)。
 元肥は施さなかったが、旺盛に生育した。大豆は主茎がしっかりと直立するが、小豆はやや蔓状になって伸長した。種袋には花がつくころに追肥すると収量が上がる、と書いてあったので、花時に化学肥料をぱらぱらと施した。莢つきはよく、外観からは虫がついている様子もなかった。これまでの3回の経験では貧弱な生育しか見てこなかったので、このような生育の過程は驚きの連続であった。

 収穫・調製になると文字通り未知の領域になる。そこでともかく、莢のほとんどが黄熟したころに抜き取って、稲架に掛けた(11月7日)。掛けて乾燥させているうちに、莢が弾けるのではないか、と心配したが、杞憂であった。なかなか脱粒する時間ができないので、持ち帰って、今度は小屋の中に吊るした。

 なお、抜き取った、あるいは刈り取った小豆を自然乾燥するのは、ニオに積む方法もあるようである。
●ニオ積み収穫体系
 熟莢率が70~80%に達する成熟期以降に、あずきの株をビーンハーベスタ又はビーンカッタにより刈り倒し、数日間地干しや島立てによりほ場で予備乾燥をしてから、人力又はニオ積み機により畑の中に「ニオ」と呼ばれる円筒形の山に積み上げて2~3週間程度自然乾燥させ、子実水分を16~18%にまで下げた後、ビーンスレッシャ(脱粒機)で脱粒する体系です。
(注)ビーンハーベスタ:刈取り株をまとめて一定間隔でほ場に落下させる機械。ビーンカッタ:複数条の刈取り株を集約してほ場に列状に並べていく機械。
(豆基金 http://www.mame.or.jp/saibai/azu_hokkaido.html より引用)

小豆を叩く(クリックで画像の拡大)

小豆を叩く。
 手前のプラスチック製の盥[たらい]に入っている莢を、その向こうの袋(脱穀した籾をいれる袋)に入れて木槌で叩く。篩でゴミを除きながら、金盥に小豆を落とす。その後で箕でゴミを除いた。
 そして12月25日にようやく莢を叩いた。大豆の場合は、茎についたままの莢を木槌で叩いて豆を取り出す。しかし、小豆は茎が長く、莢が分散してついているので、大豆と同じ方法では効率的ではないように思えた。そこで、莢を茎から切りはずして、袋にいれ、その袋を木槌で叩いた。

 なぜ休耕田では小豆がうまくできたのだろうか。除草をしてやった(2回)こともあるが、おそらくは田んぼのなかと畑とでは生物相が違い、小豆の害虫が少ないのだろうと推測する。


 小豆を選るのは初めてである。十数粒つまみとって掌に乗せ、悪い豆を除いてから、掌でごろごろ回転させながら確認する、という方法で選った。大豆は大きいので、つまめる数や掌の広さからして、一度に二粒ないし三粒しか選別できないが、小豆は小さいので数がこなせる。しかし、小さいだけに容量的には大豆と作業効率は変わらないような気がする。

(クリックで画像の拡大)
手前、曲げ物に入っているのが、選った小豆。
 しかし、根気のいる作業である。三世代家族なら、こんな作業はおじいちゃん、おばあちゃんがやってくれるのだろうが、核家族の我が家ではおとうちゃんがやるしかない。食べるときは嬉しいし楽しいが、そこに至るまでが時間がかかり労苦がともなう。それだけに一層おいしい、ということなのだろうか。年末の餅つきには、もち米はむろんのこと餡の小豆も自家製のものを使った。豆入りの餅には小豆の隣の畝で作った黒豆を使った。たしかに、出来上がりを見れば嬉しいし、食べればおいしい。
村便り:2010-12-31(金) (年越し蕎麦)
投稿日:2010-12-31(金)

 今年の年越し蕎麦は「野呂在来」の粉を使って打った。我が家でも今年も蕎麦(「階上早生」)は作った。脱穀して箕で大まかにゴミを除くと...

 今年の年越し蕎麦は「野呂在来」の粉を使って打った。我が家でも今年も蕎麦(「階上早生」)は作った。脱穀して箕で大まかにゴミを除くところまでやったが、粉にするまではまだ作業工程が残っていた。そんなときに千葉のムーさんから蕎麦粉を送っていただいたので、年越し蕎麦にはそれを使うことにした。ちなみに「野呂在来」は千葉の在来種。

年越し蕎麦
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年越し蕎麦
 蕎麦打ちは我が家のシェフにまかせてあるので、私は食べるだけ。口に含むとほのかな蕎麦のかおりがした。野性味を主張するようなかおりではなく、ひかえめであるが、みがかれたかおりである。雑味がそぎ落とされている、とも言える。

 シェフは、茶蕎麦みたいだ、と言った。粉が緑色がかっているからである。新蕎麦は未熟な実がまだ緑色を保っているので、碾くと粉にその緑色が残る。おそらくはそのせいだろう、と私は推測してこたえた。

 細く裁断されているせいもあろうが、喉越しもいい。さぼりがちだった今年の「てつ人の雑記帳」はこの《新打ち》登場で幕。

 今年のご愛読ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

(2011-01-03(月)投稿)
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