てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳
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村便り:2007-09-26(水)/27(木) (レタス、チシャ、菜花)
投稿日:2007-09-28(金)

26日と27日は朝、定植や種蒔きをした。その簡単な記録。2007年9月27日(水)定植:チマ・サンチュ(赤)、レタス チマ・サンチュは朝鮮かきチシャ...

26日と27日は朝、定植や種蒔きをした。その簡単な記録。

2007年9月27日(水)
定植:チマ・サンチュ(赤)、レタス

 チマ・サンチュは朝鮮かきチシャ。彼の地では、焼き肉などを包んで食べる、と言う。
2007年9月28日(木)
播種:紅菜苔(べになばな)

 「紅菜苔」の「苔」は「薹」と書くのが正しいのだろう。中国野菜で、赤紫色をしている(紅菜)。その薹を食べるので「紅菜苔」。
村便り:2007-09-24(月) (ネギの定植など)
投稿日:2007-09-28(金)

定植:ネギ播種:カブ(白、赤)、ビタミン菜、水菜、小松菜村は雨が少ない 朝、広島市内は雨。降り続きはしなかったが、この量では畑作業...

定植:ネギ
播種:カブ(白、赤)、ビタミン菜、水菜、小松菜

村は雨が少ない
 朝、広島市内は雨。降り続きはしなかったが、この量では畑作業はできないかもしれない、と思い、村に住む従姉に電話をかけた。彼女は、少し湿っている程度、と返事をした。そこで村に行くことにした。従姉の言葉通り、村に降った雨は農作業には支障のない程度だった。

 雨の少ない夏季によく思うことだが、村は雨が少ない。私の生活の拠点は、自宅のある広島市内、農地のある村、大学のある内陸部の東広島の三地点である。広島市内や東広島で夕立があったときでも、村に入ると雨が一滴も落ちていないときがよくある。村の最高峰、灰ヶ峰の頂上付近は雨雲がかかることがよくあるが、その雲が村に雨を降すことは少ない。小雨は、周りが山に囲まれている、という地形的な条件によるようにも思えるが、正しい理由は分からない。

 今日は、定植と種蒔き。

ネギの定植-ネギは多年草!
 午前中はネギの定植。

ネギの定植
(クリックで画像の拡大)
ネギの定植。苗を育てた九条ネギ。
 
昨秋定植したネギ
(クリックで画像の拡大)

 昨秋定植したネギ。夏の間草に埋もれていたが、除草し施肥した。今日定植したネギが食べられるまでのつなぎとして利用するつもり。
 春に薹が立った茎は枯れて、夏の間に新しい茎が出てきたようである。
 昨年の10月に九条ネギと下仁田ネギを蒔いた。それまでは春に種蒔きをしていたが、作業を分散させるために、秋蒔きを試みた。発芽はうまくいき、春には小さなネギに坊主がついた。ネギ坊主はとった。最初の心づもりでは、春に仮植えして夏か初秋に定植する予定だったが、手が回らず、昨秋からの苗床に放っておいた。それでも、細いままであるが、秋まで生き延びた。それを定植したのである。

 他方、昨年の初秋、定植したネギが、春に薹立ちし、さらに夏を越して草に埋もれながらも生き続けていた。それは、昨春に種蒔きした九条ネギの二品種(普通の九条ネギと、やや色が黄色みかがっており、暑さに強いと言われる浅黄系九条ネギ)である。ネギは普通、春に薹が立つと、丈を切り詰めて、植えかえる。しかし、件のネギは、坊主は取ったものの、あとは何もせずに、そのままにしておいたものである。

 そのネギを見て、私は図らずも、ネギは多年草であることに気づいた。気づいてみれば当然のように思えるのだが、それまでは、種蒔きして育てた苗を定植する、という一年草的な栽培をしていたのである。

 草の中のネギは細かった。これは苗代わりに使える、と私は思った。そこで、それも定植することにした。もしうまくいけば、下仁田ネギのような一本ネギはともかく、分蘖するタイプの九条ネギは、種なしで栽培を続けられることになる。考えてみれば、ネギと同じユリ科のニラは株分けで増やすことができる。だから、ネギでも株分けによる増殖ができても不思議ではない。

 去年からのネギは一部を残し、施肥してやった。定植したネギが食べられるようになるまでのつなぎとして利用できるかもしれない、と思ったからである。

株と菜っ葉類の種蒔き
 午後は種蒔き。カブ(白と赤の二種類)、ビタミン菜、水菜、小松菜を蒔く。菜っ葉類を蒔き終えようとしていた夕方、雨が落ちだした。茶碗に入れた種(私は種を茶碗に入れて、種蒔きをする)が雨に濡れないよう、身体でかばいながら、無事種蒔きを終了した。
村便り:2007-09-22(日) (一日体験入農)
投稿日:2007-09-27(木)

播種:タマネギ(黄、赤)、ジャガイモ(普賢丸)定植:白菜(普通白菜、タケノコ白菜)「農業実習」 今日は「一日体験入農」(「一日体験...

播種:タマネギ(黄、赤)、ジャガイモ(普賢丸)
定植:白菜(普通白菜、タケノコ白菜)

「農業実習」
 今日は「一日体験入農」(「一日体験入学」をもじった言葉)の学生が二人やってくる日。彼らは私のゼミに出席している大学院生であり、かつ太極拳仲間である。一人は博士課程[現在の名称は「博士課程後期」]の女子学生(Uさんとしよう)、もう一人は修士課程[「博士課程前期」]の男子学生(K君としよう)。Uさんは、K君や私の、太極拳の老師[先生]で、大学生時代は表演競技としての太極拳をやっていた。彼女は私が農夫でもあることに(あるいは農業に)興味をもったようであり、「農業実習」(彼女の表現)をやってみたい、と私に申し込んだ。私は、普段の農作業は単調できついがいいか、と確かめた。私としては、農作業の時間を犠牲にして、彼らのために農的イベントを設けるつもりはなく、「農業実習」に来るなら、普段のままの作業を見せ、やらせるつもりだった。彼女は、草取りでもいい、と答えた。そして、K君を誘ってやって来ることになった。
 二人はUさんの車で約束の朝10時にやって来た。私がアドバイスした通りの、帽子をかぶって、長袖、長ズボン、ゴム長の服装。都会に育った、百姓とは無縁の二人の「体験入農」が始まった。

人参畝の草取り
 まず畑を案内してから、早速、彼らのためにとっておいた作業をしてもらうことにした。人参畝の草取りである。人参は8月21日に種蒔きしてから、畝は草が生えっぱなし。そろそろ間引きの時期になった人参は草の中に埋もれかけていた。彼らが作業をしている間、私は近くの畝でタマネギの播種作業を行なった。

 おっ、大きな虫がいる、とK君は抜いた草にいた虫をつついた。Uさんも珍しそうに見る。人参葉にはよくつくキアゲハの老齢幼虫であった。アゲハの幼虫だよ、と私が言うと、彼らは信じられないようだった。

「わたしは農家の嫁にはなれない」鍬体験
 ついでジャガイモ植え。まず畝の草を除いて、肥料を撒き、鍬で耕した。広い範囲であれば耕耘機を使うが、30片弱の種芋を植える程度の畝は鍬で十分。四つ鍬で土の起こし方を説明して、彼らに耕してもらった。四つ鍬は重いようだったので、軽めの三つ鍬に代えた。K君はさすがに男の子、いちおう様になっていた。Uさんは、鍬を持ち上げて、鍬で打つ地面に狙いをさだめるように少し間をおいてから、すとんと鍬を落とす。うまくこつが掴めない様子だった。「わたしは農家の嫁にはなれない」が彼女の、鍬の初体験の感想だった。

 昼食後は、二人が小屋の中で食後の休憩をとっている間、私は耕耘機で白菜を定植する畝を軽く耕した。わずかに生えかけていた草を抜くためである。耕し畝を整えてから耕耘機を洗った。そのころ二人は小屋から出てきた。耕耘機を農機小屋に入れてから、白菜の定植。

肥担桶
(クリックで画像の拡大)
肥担桶。プラスチック製。水を一杯に入れると20リットル入る。写真の担桶には15リットル入っている。
担桶かつぎ
 白菜を定植するには、定植穴をあけて、まずそこに水を流し込む。そのために畝まで担桶[タゴ]に入れた水を担いで運ばなければならなかった。担桶には水を15リットルを入れ、それを担ぎ棒の両端にぶら下げるから、担ぐのは都合30リットルの水になる。担ぎ方を簡単に説明して、まずK君に担いでもらった。担ぎ上げることは簡単にできたが、肩に棒が食い込み運べそうになかった。ついでUさん。30リットルは重い。よろめきながらやっと担ぎ上げたが、そこまで。太極拳の老師には肥担桶は向かない(似合わない)か。最後に私。肥担桶を担げないようでは百姓はできない。担ぎ棒は肩におくのではなく、肩と首の付け根、肉が盛り上がっているところに置く、と説明して運び始めた。上下動は少なくして歩かなくては、水が担桶から跳ね出る。彼らは私の姿を見ながらそのことが分かったようであった。

 白菜を定植してから、彼らがもって帰る野菜を収穫した。トマト、ピーマン、インゲン(三度豆)、甘トウガラシ、シカクマメ、空芯采をわが家の畑から、ナスを従姉の畑から採った。

サツマイモのおやつ
 作業途中、従姉がおやつを出してくれた。冷たいお茶とサツマイモである。私は作業途中でおやつを食べる習慣がないので、お茶だけをもらった。二人には皮つきのサツマイモは美味しいようであった(とくにUさんにとって)。おやつとは別に、従姉は二人に、トマトをもぎ取らせその場で食べさせてもくれたようである。私は最初から二人を「接待」するつもりはなかったが、従姉が代わってやってくれた格好になった。

 午後5時すぎ二人は帰っていった。彼らにとって「一日体験入農」はどうだったろうか?「一人農家」の私としては、これからも時々、いや、しょっちゅう(でも勉強に差し支えない程度に)「援農」に来てくれることを夢想(妄想?)しながら、彼らを送った。
村便り:2007-09-22(土) (中古のカッター)
投稿日:2007-09-26(水)

 今日からの連休三日の初日は、残り二日で行なう定植や種蒔きのため、畝の準備を主体とした作業。作業の途中、JA農機センターの若い職員...

 今日からの連休三日の初日は、残り二日で行なう定植や種蒔きのため、畝の準備を主体とした作業。作業の途中、JA農機センターの若い職員が軽トラでやって来て、裏の畑でトマトの世話をしていた私に声をかけた。頼んでいた中古のカッター(稲藁切断機)を運んで来たのだ。

 昨年から、稲刈りから籾乾燥までの作業を委託できなくなり、稲刈り、稲架掛け、脱穀を自分自身でやり始めた。稲刈り機は一昨年購入していたが、脱穀機(普通「ハーベスター」と呼ぶが、私はどうもなじめない)はなかった。ところが、或る農家で不要になり放置してあった、古い脱穀機とカッターが手に入った(*)。脱穀の時期までには十分に時間があったので、それまでに整備(エンジン・オイルの交換、消耗部品の交換など)をしてもらおうと思っていたが、去年は、結局、もらったままの状態で使った。そこで今年は、早くからJA農機センターに整備を頼んでおいた。8月に整備をしてもらったところ、脱穀機はオイルとベルト交換で済んだが、カッターは主要な部品が磨耗しているのが分かった。しかし、古い機械なので部品が入手可能かどうかがはっきりしなかしなかった。メーカーに問い合わせてもらったが、新しい部品はもうなかった。
(*)新しい型の脱穀機は、脱穀機本体にカッターを取り付け、脱穀すると同時に藁を切断することができる。だが、私のもらった脱穀機は旧式なので、別に独立型のカッターが必要。

 藁は短く切断してから田んぼに散布し鋤きこむが、大量なので、押し切り[手で押して切断する、超小型ギロチンのような道具]で切断することは事実上不可能。だから藁はカッターがなければ、燃やすしかない。しかし、せっかくの有機肥料の素を煙と灰にするのはしのびない。そこで、中古を探すことにした。すると、JAの職員は、ちょうどいま出てきそうな中古がある、と言う。そして一週間ほどして、話がまとまったので中古を斡旋できる、との電話があった。値段は新品の三分の一。私は手を打った。

 中古は、直接交渉すれば安く手に入る。現物がそのままで売り手から買い手に動くからである。それに対し、JA農機センターを通すと、高くなるが、消耗部品交換も含めて整備をしてくれる。価格は年式にしたがって大体決まっていて、価格から整備費を差し引いた金額が元の所有者にわたるようである。だから、丁寧に使ってあれば、整備費が少なくて済む分、元の所有者の手取りは多くなる。(以上、以前、農機センターの職員から聞いた話。)

 手に入ったカッターは、以前のカッターと出力は同じ。見た目は、以前のより大分新しそうである。土蔵の入口側についている長い庇の下に、脱穀機と並べておいた。
村便り:2007-09-14(金) (ネズミ大根[山口大根]の種蒔き)
投稿日:2007-09-22(土)

 朝、ネズミ大根を蒔く。種は一昨年、長野の人からいただいて、それから自己採種してきたもの。「山口大根」といい、長野の或る地域で作り...

 朝、ネズミ大根を蒔く。種は一昨年、長野の人からいただいて、それから自己採種してきたもの。「山口大根」といい、長野の或る地域で作り続けられてきたものであり、その種を少量いただいたのである。ネズミの形をした激辛大根で、パサパサした肉質である。かの地ではソバの薬味に使うそうである。長野の人は、短冊に切って天ぷらにしてもおいしい、と言っていた。
 野菜は、その家、その地方の食生活にとけ込めないと、定着しない。そういう意味では、このネズミ大根は、瀬戸内の山間部の村では、まだ「異邦人」的な存在である。でも少量でも作り続けてみよう、と思っている。作り続けるには、種苗会社では扱っていない品種なので、自己採種するしかない。昨秋播種してこの夏に採種したもので二、三年分は優にあるが、今年も採種を試みるつもりである。二、三年続けて株を選抜しながら採種を続けると、この地方に馴化した品種になるのではないか、と思う(期待している)。
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