播種:
ニンニク
夜の間に雨が降ったが、予定している畑作業に支障が出るほどではなかった。
(クリックで画像の拡大) タマネギの発芽状況。藁の覆いを取り除いた翌朝の姿。 |
(クリックで画像の拡大) ニンニクを植えつつある畝。
昨年11月から今年5月までソラマメが生育していた畝。夏中、草が生えるがままになっていた。背景に草が生えている畝(カボチャを作っていた)があるが、それ以上に高い草(主としてエノコログサ)が生えていた。その草を直前に鎌で刈り倒した。 |
(クリックで画像の拡大) ニンニクは、草をかき分けて植える場所を作り、そこに12㎝おきにスコップで穴をあけて種を入れる。普通ニンニクは70球、葉ニンニクは18球植えた。 |
(クリックで画像の拡大) 草を除いたサツマイモの畝。
6月下旬に蔓を植えたから、三カ月以上経っている。一番手前の株は、9月始めに草取りをしたもの。他の株とは葉茎の繁り方が違う。霜が降りるまであと一カ月あまり、葉茎は、したがって芋は、どのくらい大きくなってくれるだろか。 |
タマネギの発芽状況
畑に着いてまず、9月22日に種蒔きしたタマネギの発芽状況を確認する。そろそろ覆っていた藁を除いてやってもいい時期のようであった。タマネギはうまく管理してやらないと発芽率が悪くなる。管理の仕方については、
9月8日の「村便り」の画像で説明した。発芽管理の最後は、覆っていた藁を除くことであるが、この時期の見極めが難しい。発芽が始まったので慌てて藁を除くと、まだ発芽していない種が日の目を見ないままになる。好暗性発芽に適した条件を除かれ、さらに、土が乾燥するからである。しかし、欲張って藁を覆ったままにしていると、早く発芽したものはモヤシ状態になる。他方、藁を除くのは慎重にしないと、藁の間に挟まっている苗が抜けてしまう。少しずつ、ゆっくり、そっと、といった動作で除く。藁は夕方に除いたが、今年は種蒔きして雨が降り土壌水分が好適な状態だったこともあり、満足できる発芽率であった。
今日の農作業の予定は、白菜とキャベツ類(キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー)の追肥と、ニンニク植え。
白菜とキャベツ類の追肥
ニンニクは草が繁っている自然畝を草刈りして植えるので、草を濡らしている露が乾くまで待つことにして、白菜とキャベツ類の追肥にとりかかった。
白菜は肥料食いである。二、三回追肥をして、寒さで成長が止まるまでに葉の数をかせぎ、大きく結球させなければならない。だから、肥料の少ない畝では、結球に至らず冬を迎えてしまう。自然畝では葉数が少なく、葉の開いた白菜しかできない(私の経験によれば)。しかも、白菜は食い残しが多い。いわば白菜は飽食の現代人のようなものである。
キャベツ類は、ひさしく自然畝で栽培していたが、今年は慣行畝に変更した。やはり肥料が効いている慣行畝は生育がいい。その生育を見ると、禁欲的な自然畝栽培で長いあいだ忘れていた感動を覚える。だからと言って、自然農法をやめようとは思わない。全品種ではないにせよ、小振りの出来であるが安定した栽培法を編み出したい。自然農法は未来を開く一つの方向だと考えているからである。
ニンニク植え
ニンニクは自然畝栽培に決めている。小振りだが、出来る。夏のあいだ繁った草を刈ることから始めた。ニンニクを植える予定の畝にはヒルガオがところどころに生えている。ヒルガオは地下茎を伸ばして繁殖するので見つけ次第抜き取ることにしている。多年草は自然畝から除外するのが私の方針である。ヒルガオを抜くと長い地下茎がずるずるとついてくる。できれば、この地下茎も抜き取る。
ニンニクは普通ニンニクと葉ニンニクの二種類。葉ニンニクは南方系のニンニクで、色は紫色。春先、茎が柔らかく伸びてきたときに利用する。種球は小さいので、利用しにくい。わが家のシェフは、茎はにおいがきつい、と言って葉ニンニクは使ってくれない。そこで、近年は、いつか利用するときが来るかもしれない、と思いながら種取りのためだけに栽培している。でも、今年は別に25球ほど慣行畝に植えた。茎が成長したら、もう一度使ってくれるよう、シェフに頼んでみるつもりである。
サツマイモ畝の草取り
畑の作物の中に夏中、気になっていたものがある。サツマイモである。苗を植えてから一度も草取りしていないので、草の中に埋もれ、葉茎が成長できないでいた。去年はイノシシにやられた。今年はイノシシが来ない代わりに、勢いの強い夏草が萎縮させた。受難続きのサツマイモ栽培である。夕方、日が傾きはじめたが、畝の草刈りをする決心をした。
草取りをしていると、腹立たしいような悲しいような、鬱屈した気持ちになった。種蒔きをして発芽する、苗を作って定植する。そこまではうまくいく。しかし、それからは成り行き任せ。草が生い茂り、肝心の野菜はうまく育たない。こんな気持ちになるときはいつも「賽の河原」という言葉を思い出す。そして、もしかしたら、自分は前世きっと田畑を売ってまで道楽三昧に耽った百姓だったんだろう、と思ったりする。
暗くなりかけた畑で草刈りを終えると、芋の、植えてから三カ月以上もたったとは思えないほどに貧相な葉茎が姿をあらわした。安堵半分、気落ち半分の気分だった。