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週 末 農 人 こ と 始 め< 農耕の合間に <

 
週末に農耕をやり始めた経緯について綴ってみました。(2000-04-01)
 
農耕を始めてから4年余りが過ぎた。農耕を始めた理由は、何もよりもまず、実家に多少の農地があるからである。

私は10年ほど前に、出身地に近い大学にポストを得た。いずれ「跡を継ぐ」ことを期待されていた実家は、車を使うと、住んでいる広島市内の宿舎から1時間、大学からは40分のところにある。「本務」のかたわら、時折、農作業で汗を流すのには絶好のところに居住し、勤務していたのだが、広島の大学に来てから何年かは、授業の準備とかの「本務」に忙殺され、農耕を手伝うことはほとんどなかった。農業は定年退職した父が従事していた。百姓を習いたいので、と言って、晴れた日曜日などに畑に顔を出しても、やってみたい種まきなどの作業はたいてい終わっていた。不満そうな顔をすると、父は、日曜日に来るのを待ってはいられない、とそっけなく答えた。

週末になると決まって畑や田圃に出だしたのは、父が入院してからである。秋が深まったころ、父は入院した。その間、冬から春にかけて、秋に蒔いた野菜が大きくなり収穫期を迎える。父の残した畑を世話することから「週末農耕」への道が始まった。父は入院した次ぎの年の春先、世を去った。農業は、それを機にやめてしまうこともできた。のちに聞いたことだが、近所の人たちは、父が死んだあと、「これで、アリタイ[有田屋−実家の屋号−]の畑や田圃は荒れるだけじゃのぅ」と話したそうである。しかし、大学に入学するまでは、実家のある田舎で生まれ育ち、稲刈りなども手伝ったりしたためであろう、ごく当然のように農耕に従事することを選んだ。

その「当然」の中には、荒廃した農地への心情が含まれている。私の村−実家のある地域を「私の村」と呼ぶことにしよう(「村の場所」参照)−は、小規模農家がほとんどで、専業農家は数えるほどしかない。生活費は農業以外で稼ぎだす家庭がほとんどだと思う。それに、若い人たちはたいてい都会に出てしまう。実際、明治の始めから村にあった小学校が近年、創立以来はじめて複式学級になってしまった。廃校さえ、ささやかれるほどである。したがって、農業に従事するのは、本業のかたわら、朝早くとか休日に時間を作り出して作業をする人たちとか、定年後の人たちである。日本の農業一般の例に漏れず、この村でも農業従事者の年齢は上がっている。すると、必然的に増えるのが耕作放棄田である。その耕作放棄田を見ると、農村に生まれ育った者の「当然」の心情か、胸がえぐられるような悲しみに襲われる。放棄田の荒廃が己の臓腑のもののように感じられるのである。そのような「当然」も私を農耕に駆り立てたのである。

しかし、「跡を継ぐ」という事情とか、荒廃した農地への心情とかだけで、時間が捻出できるにしても、本業のかたわら農耕を営みつづける動機にはならない。

どうして農業をするのか、と週末農耕を始めたころは時々きかれた。自家用作物だけを作っている小農だとはいえ、いわゆる市民農園とは比較にならないくらいの広さの田畑を耕作するのは、なまじのことではない。贅沢を望まなければ生きていくに足る収入があるのに、泥にまみれ、労力のわりには見返りの少ない農耕をなぜやるのか。きく人はそんな疑問から尋ねるのである。農的生活になじみのない人は、週末に土に触れるって健康的で気持ちいいでしょう、とうらやましがるが、農業を身をもって知っている人は不思議がる。最初の頃、隣のおばさん(私は「おばさん」と呼んでいるが、実際は九十歳近いおばあさんである)は畑仕事をする私の横に来ては、「少のうても、田地がありゃ、百姓せんにゃならんの、今ごろぁ、百姓してもなんぼにもならんのにのぉ」と不憫がってくれた。また、平成11年6月の集中豪雨で畑が水害に遭ったときである。近所のある人は、百姓は、はあ、やめんさいや、畑や田はほっときんさりゃええじゃない、と親身になって言ってくれた。環境意識が高まり、棚田景観とか環境保全機能とか農業が多少もてはやされる時代になっても、百姓は昔と変わらず、つらいなりわいである。

それに、自宅から車で1時間のところに農地があるとはいえ、やはり私は通いの農夫である。井手(水田用水路)に水が乏しいときなどは、未明に起きて田圃に水を入れてから大学に行ったり、勤めから帰りに遠回りして、暗い中、懐中電灯で水の量を調べることもある。農業は、基本的には、職住近接ではじめてこなせるなりわいだと思う。通いは、変則的な関わり方である。

それでも週末になれば必ず畑や田に姿を見せる私に、隣のおばさんは、「百姓が好きなんじゃの、好きじゃなけんにゃ、こがいにできん」と頷くようになった。

このように、内外の事情が絡み合いながら、農耕を始め、まだ4年ではあるが、週末農業を続けてきた。「農耕の合間に」のコーナーでは、農耕、村人との交わり、農耕をとりまく自然などについて綴ろうと思う。

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てつがく村
depuis le 1er avril 2000